◆1996年に現在のイオス鰍ノ社名を変更されました経過は?
父親から受け継いだときには、ダンボールの製造会社で、梱包用資材の二次代理店もやっていましたが、価格競争力が弱い立場でした。そこで、問屋の(株)岡部商店と合併して問屋機能を備えました。それによって、大手のお客様の要求にこたえられるようになりました。ところが、この岡部商店の社長が放漫経営をしていまして、この合併時が第二の危機でした。岡部商店の1億円の損失までも引き継いでしまいました。25年間会社の経営をしてきて3度目のマイナス決算でした。しかし、岡部商店の社員がひとりも辞めず、またお客様も残ってくれました。嬉しかったですね。二つの会社が合併して、お互いの社員が一つにまとまるまでには長い時間がかかりました。10年経って今やっと会社の中が一つになったという感じがしています。
◆事業の内容についてお伺いいたします。
当社は先ほども申しましたように、梱包用資材の商社と段ボール加工メーカ−です。それに加え、POP加工や、包装にかかわるライセンスを生かしてのコンサルタント業や情報処理業務も手がけております。5年前には、大型インクジェットプリンターを導入し、段ボールシートへのデジタル印刷を実現しました。また、一昨年には、3DCADと大型CAMを導入し、段ボールケースの型レス製造を可能にしました。近い将来フルカラー印刷機を導入してダンボールケースは、段ボールケースはもちろん、プラスチック段ボールケースやPOP・サイングッズの加工でも多品種少量・短納期受注が出来るようになりたいと考えています。この3DCADは、営業担当者のプレゼンには強力な武器となっていますね。また最近需要が伸びているのがPOP加工です。これは、商品プロモーションの一部とお考えになるお客様が増えているということでしょう。
2005年6月に品質向上のために、ISO9001を取得しました。当社のような業種での取得は殆どありませんでした。これにより、全社的な意識改革ができました。そのおかげで、機密文書管理の重要性を認識し、お客様からの発注データや図面・仕様書データの管理について文書管理ソフトを導入して、FAXデータのペーパレス化と、機密性を維持するための体制を構築することができ、それにより、お客様自身が生産コントロールをしなくても、注文から伝票処理まで一貫して当社で管理できるようになりました。これが当社の強みですね。
今後は、インターネットを活用したネットショップ事業にも積極的に取り組んでいくことを考えています。
◆村上さんにとって、会社はどうあるべきだとお考えですか?
理想でいえば、この会社で人生の一時期を一緒に過ごした社員がたった一度しかない人生の中で、「よかったなぁ」といってもられるような場にしたいですね。早稲田大学の校歌に「集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光」という歌詞があるのですが、社員は一生この会社にいるわけではないでしょうが、やめていった人も、遊びに来てくれるような、この会社にいてよかったと思ってもらえるような、そんな価値のある会社にしていきたいのですよ。実際、やめてまた戻ってきた社員は多いのですよ。(笑)
大卒の人は、企業をやめても、だんだんグレードを下げることはできます。しかし大手をスピンアウトした肩書きだけの人間はダメですね。中卒・高卒の人は、なかなか再就職企業のグレードを上げることは難しい。その中で、それなりの技術や資格を取得して、ホップ・ステップ・ジャンプと上がっていく意欲を持ってほしいですね。
例えていえば、大卒者はスキーのジャンプ競技のラージヒルですよ。高卒者はノーマルヒルですね。同じように跳んでも差は縮まりません。いろいろと飛形の工夫をしたり、筋力トレーニングをしたりすれば、もしかしたらラージヒルの失敗ジャンパーを超えることもできるでしょう。そういう努力をする人間のほうが魅力的ですね。
桜井さんは先ほどから、私の話によく笑っておられますが、私は社員にとっては怖い存在なのですよ。(笑)でもそのこわさの中に情が無ければいけません。最近テレビで
「蟻の街のマリア」の北原怜子(さとこ)さんのドキュメンタリーを見て涙してしまいました。最近とても涙もろくなりました。(笑)
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「蟻の街のマリア」