英語で「願い事をする」という意味です。難病と闘っている子どもたちにも、夢はあります。でもその夢をあきらめてしまった子どもがいます。私たちが日々小さな夢を持ちながら生活しています。でも、そういう子どもたちは、長い闘病生活の中で、「病気が治ったらね・・」といわれて、ずーとがんばり続けているのです。何ヶ月も、何年も、もしかしたら生まれたときから・・・。そういう中で、何かを待ち望んだり、胸をときめかしたりと、はずむ気持そのものを忘れてしまった子どもたちがいます。そんな子どもたち一人一人に、「あなたの夢は何ですか?その夢かなえますよ」というのが、メイク・ア・ウィッシュの活動なのです。
この活動は、1980年アメリカで生まれました。たった一人の7歳になる男の子のクリス君が、お巡りさんになりたいという夢から始まって、今では世界30カ国で、15万人の夢をかなえる大きなボランティア団体となりました。
私は、その中の日本支部として、お手伝いをしています。メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン(MAWJ)は1992年にアメリカ人の理学療法士のスーザンという女性が、沖縄で立ち上げました。スーザンは、病院で治療に当たっている中で、夢を持つことの大切さを痛感したのです。沖縄で3人の子どもの夢をかなえました。スーザンが帰国することをきっかけに、本部を東京に移しました。私は、その後からの参加です。半ば押しかけ参加だったのですよ。(笑)
おそらく沖縄で立ち上げた時はミッションだけが先行していた部分があったと思うのですが、東京に本部を移してからは、新理事長の八木をはじめ理事会のメンバーは、殆どがビジネスマンでしたので、私はその中で、ボランティアだからといって、ただ募金箱をもってたっているのではなくて、こちらからいろいろな仕掛けを作って集めていかなければいけないということを学びました。こちらから積極的に働きかけていかなければダメだということを教えられたのです。経営という感覚を叩き込まれましたね。
例えば、チャリティマラソン・コンサート・ウィッシュチャイルドの本の出版、グッズの販売、直近では2006年11月23日の富士スピードウェイでのチャリティライドなどを企画して、MAWJの活動を理解してもらい、資金作りをしています。
また、お手伝いをしてきた子どもたちの夢・笑顔・歓び・そして小さな奇跡の物語を本にまとめた「メイク・ア・ウィッシュの大野さん」の出版もしました。その中では、私が出会った子どもたちから教えたもらった大切なことをお伝えしています。
このメイク・ア・ウィッシュの活動を、よく三輪車にたとえます。前輪は「子どもの夢の実現」、後ろの車輪が、「活動資金」と「広報」です。前の車輪が動かなければ、三輪車は前に進めません。子どもの夢を捜すためにいろいろな病院などに「こんな団体です。」とメイク・ア・ウィッシュの活動を理解してもらうことから始めました。
同時に、活動資金提供をお願いしていかなければなりませんでした。しかし何をどうしたら良いのか皆目わからない状態だったのですよ。何しろ電話と机しかなく、足りないものは自宅からもってきて・・・というスタートでした。プレデンシャル生命さんの協力のおかげで、オフィスの一部を無料で提供していただいて、ここまで来られたと思います。
パンフレットを作っても配るところも無かったり、電話をしても「ガチャ!」と切られたりと、そういう時代もありました。
現在は、とてもカラフルな立派なパンフレットを数万部用意できるようになりました。
これも、資金協力のおかげです。ときどき、「こんな立派なところにお金を使うな」と言われる方がいらっしゃいます。病気の子どもって、「かわいそう・気の毒・福祉」だなんて思われるのですが、私はそうではないと思います。このパンフレットを見ただけで、夢が膨らんでいくようにしたかったのです。毎日病気と闘っている子どもたちに、こころ弾む、誇りに思えるそんな場を用意したい、そう思っているのです。