◆イタリアに行かれた動機は?
私の専門はフランス料理だったのですが、専門学校の卒業旅行で、イギリス・フランス・イタリアを旅しました。その時に一番楽しく印象深かったのがイタリアだったのです。日本ではまだイタリア料理というとスパゲティくらいで確立されていない時代でした。僕はイタリア料理が口にあっていて、食べたいものをつくりたい!という想いがどんどん強くなっていきました。負けん気が強かったので、いまさら日本人の下で働くのはいやだったのですよ。(笑)それでイタリア人に習おうと思ってイタリア行きを決断したのです。その頃は今のように専門の「イタリア料理店」など日本には殆どない時代でした。
◆言葉の不安はありませんでしたか?
日本語だけしか話せませんでした。(笑)初めは紹介してもらったレストランだったのですが、2〜3ヶ月後には、ミシュランの本を片手に働きたいところに直接電話をしていました。「私は日本人、働きたい!」というイタリア語だけ勉強して、一方的でしたね。(笑)「いついつそちらに行くから、お願いします」という具合でしたが、みんな雇ってくれましたよ。僕も必死でしたから、その思いが通じたのかもしれませんね。(笑)イタリア全土を回って、9つくらいのレストランで修行を積みました。一概にイタリア料理といっても、いろいろありまして、その土地で収穫できるものを大切にしながら作っているという感じです。僕もそれぞれの文化に親しみながら料理を学んでいました。南イタリアでは、がっちがちの硬いパスタが好きで、北イタリアでは、もちもちのパスタが好きだったりするんです。オリーブオイルも地方によって味が違っていて、新鮮な海の幸の恵まれている南イタリアではあっさりしているし、殆ど海の無いトスカーナ地方では肉料理にあう濃厚な味がします。
◆日本に戻られたきっかけは?
税理士をしている友人から、自由が丘のイタリアレストランのシェフが辞めるから、後をやってほしい・・という連絡が入り、2年後に帰国しました。ところが、そこのシェフが辞めなくて・・・それで、目黒に8坪の店を借りて自分で店をやることにしました。開業して数ヶ月は、暇でしたね。(笑)その店は角地にあって、総ガラス張りなので店が丸見えで、あまりにも恥ずかしいので、硝子にポスターカラーでイタリア語の単語を書いたりして目隠しにしたりしていました。(笑)しばらくしてから、流行りだし、デューク更家さんも常連のお客さんでした。
社名の「アッカ」の由来は、僕の名前のイニシャルです。僕の名前「HIROTOSHI」の頭文字「H」をイタリアでは「アッカ」と発音するのです。単純なんですよ。(笑)ちなみに、自由が丘に移転した時の店の名前「TAVERNA MESSINA」の「TAVERNA」(タベルナ)は居酒屋という意味で、「MESSINA」はシチリアの地名です。シチリアはこのまま住んでしまいたいと思ったくらい好きな場所でした。映画「グランブルー」の舞台になったタオルミーナにはしばらく滞在しましたが、日本人にも有名な南フランスの観光地の一つです。
モチモチ のナポリ風薪釜ピッツァとイタリア各地のレストランで修行したことをいかした、「基本は崩さずスタイルよく」仕上げた 郷土料理そして、シェフのこだわり手打麺でしょうか。かしこまらずに、居酒屋感覚でイタリア料理を楽しんでほしいと思っています。
店舗ごとに、その店のシェフの個性を生かしたメニュー作りをしています。