◆ビルメンテナンスの事業にされたのは?
翌年に、ビル掃除の仕事を個人でやっていた友人が、その仕事を会社でやってほしいといって入社してきました。それまでの求人広告は変動が激しく不安定で、このビルの掃除は、毎月定期的に仕事があって安定しているわけです。それでその業界を調べてみたのですが、かなり大きな市場でした。それでこっちのほうが安定していて儲かると思いまして、「この仕事にしよう!」と提案したら、4人ぐらいいた社員がみんな嫌だといって辞めちゃいました。(笑)でももうやるしかないので、自分ひとりでいろいろ勉強しました。先輩の友人でビルメンテナンスの会社をやっている人がいまして、その会社をご紹介いただき、そこから仕事をいただきながら、指導してもらいました。弟や役者の仲間に手伝ってもらって、役者仲間には暇な人もいて、その頃は人には困りませんでしたね。(笑)
◆軌道に乗り出したのかいつ頃からですか?
いやいや、今もまだまだですかね・・・(笑)まあ、5〜6年経ってからでしょうか。この業界は大手企業が仕切って、当社のようなところが請けるという形が多いですね。ビルメンテナンスの市場は大きいですよ。まあ誰でもできるって言えばできる業界で、僕にもできたわけですから。(笑)始めた時はバブルの時代で、仕事は途切れずにありましたので、人集めが大変でした。設立して4年間はひとりで切り盛りしていましたが、忙しくてどうにもならなくなって、サラリーマンをやっている友人と漫画家志望の弟を引っ張り込みました。(笑)
しかし今は業者が増えすぎてきましたし、大手企業は、自社の高齢者の受け皿としてビルメン会社を作り、日常清掃の部分などはできるだけ自分たちの会社でやって、どうしても難しいところを外注にだすというようになって来て、厳しい時代だともいえます。
この業界は、約85%以上が、年商1億円以内の零細企業や個人事業です。約7%が大手企業で、当社はその中間にいます。殆どが零細企業なので、低価格に押さえられてしまう構造なんですよ。その中で生き残るためには、企業の独自性が求められる時代になりました。
◆飲食業を手がけられるようになったのは?
これからの将来性を考えるともう一つ事業の柱がほしいと考えました。当時から、事業領域としてハウスクリーニングとか、家事代行の仕事も考えていたのですが時期尚早と思い、飲食業に参入することにしました。
手始めに「牛角」のフランチャイズ店を出して、ノウハウを学びながら飲食業の展開を図ろうと考え、東急池上線の長原にオープンしましたが、これが当たりましてね。毎日行列ができて、私たちは嬉しい反面、地獄のようでしたよ。(笑)最初の店長が、4ヶ月でダウンしてしまいました。お客様は行列して待っているから、入ってくる時に怒って入ってくるのですよ。席に座ってからも遅いってまた怒る。伝票を投げつけられたこともありました。(笑)
その後旗の台にも牛角を出し、もう1店舗フランチャイズで「土間土間」という居酒屋を大泉学園にオープンしました。それらの体験を元に、何かひとつ目玉商品をもった居酒屋をやりたいと思って、長原店を改装してちゃんこ鍋屋を始めたのですが、失敗してしまいました。味はよかったのですが季節物で、鍋って冬ですよね。(笑)それをアレンジして何かできないかと考えてできたのが、「もつ電電」というもつ鍋屋なんです。これを一つの柱にしていきたいと考えています。まだ今年スタートしたばかりですが、3〜4年で10店舗くらいにしたいですね。
◆特許技術によるクロス洗浄の事業も展開されていらっしゃいますね。
この事業はビルメンテナンスの武器の一つと考え、クロス洗浄技術の特許の権利を買いました。初めは賃貸の現状回復に役立つのではと不動産会社を回って営業をかけたのですが、先方にあまりコスト意識が無くて、まあ手数料の金額が高いほうがいいわけですから、(笑)あまり反響は良く無かったですね。今は社宅や寮を中心にと考えています。