◆勝電気工業さんの事業内容は?
創業時からは、電気(内線)、情報通信、防災、管、水道工事など、官公庁や民間工事の設計、施工、保守管理。「呼べばすぐ来る!勝電気」をモットウにお客様対応しております。
現在では、産学連携で開発した、eでんき(電磁波低減装置)、テクノストレス軽減の「ノンドライ」や「オール電化用」電磁波対策商品の製造、販売を手がけています。
◆創業後はどのような社長でいらっしゃいましたか?
創業は妻と二人で始め、2年目に兄、3年目に弟が入社、その後数人の社員が入社し、業績はうなぎ上がりに上昇していました。兄弟で仕事の役割を分担して、早朝から夜遅くまで、一生懸命働きました。当時、世間から私たち3兄弟は親譲りの働き者だと評価されていました。ところが、社長の私は営業といって酒とゴルフに明け暮れていました。毎日が午前様のお付き合いで、妻は呆れておりました。(苦笑)
◆経営に関しての危機感はありましたか?
96年青森県発注の竣工間際の工事現場で、10分前まで話していた兄が、突然心筋梗塞で急死しました。 それまでは兄弟で仕事の役割を分担していたので、兄の持分を代行するが、現場は混乱、仕事を間に合わせるために、高い給与で中途採用するが、定着せず、15ヶ月で5人入社、4人が退社。途方にくれる日々が続いて、ストレスが溜まり毎日がヤケ酒でした。その時に悩んだ結果分かった事は、社員を道具に使っていた、仕事の目的が無かった、会社にビジョンが無かった。本当に悩みましたね!!
◆蛯沢さんの経営観が変わられた大きなきっかけとは?
そんな時に「あなたの会社にビジョンがありますか!」のキャッチコピーに惹かれて、半年間、宮城県中小企業家同友会の経営指針に、青森から宮城まで単身車で通いました。
「あなたは何のために経営をしていますか?」の問いかけに開き直って「飯を食う、ゴルフ、遊ぶため」と発言したら、助言者からけちょんけちょんに怒鳴られました。頭にきて帰ろうかと思いましたが、なぜか云われている事に反論も出来ず、納得したら怒涛のように涙が流れて止まらないんです。まずはここで云われている事を受け入れてみようと思いました。これが私の二つ目の人生のターニングポイントであり、会社の転換期のスタートでした。
1997年9月この勉強会の終了時に「宮城で受けた恩は青森で返せ」と宮城役員の方々に囲まれ、承諾をしなければ返してもらえない状況でした(笑)、そして10月から準備会をつくり、1年後の1999年10月に102社で青森中小企業家同友会を設立しました。
現在330社ですが、2008年10月23日、10周年記念大会を開催しました。
◆経営理念を創られてから、会社はどのように変化しましたか?
半年かけて経営指針書(経営計画書)を作成していく中で、経理を担当している妻の話を聞けるようになった事、社員と面談や、経理公開や社員持ち株制度など、全面的にトップダウンからボトムアップに会社を変革することができました。青森県の指名ランキングが大幅に上昇し、最終的には2007年には7位にまで上りました。そして、数年前から戦略を変え、公共工事から脱却する為に、新分野を模索して製造業に進出、昨年、青森県から電気工事業界で第1号の認定を受けました。
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