◆社長になられたきっかけは?
1994年1月母が、つまずいた拍子に頚椎損傷で、一瞬にして身体障害者になり、ハワイの病院に6ヶ月入院、その後、寝たままの移動で神戸の病院に転院しました。 1995年 最愛の母 山本文子は阪神大震災に遭遇し、同じ年に他界しました。
母が倒れて からというもの、母の看病で手がいっぱいで仕事どころでは有りませんでした。真剣にこのビジネスを閉めることを考えました。 しかし、母が亡くなり、初めて仕事に対する使命感に目覚めました。操業して18年、母とともに苦労して育て上げてきたマサコフォーマルズに対しての責任感が続ける力となりました。
それから11年、甘えの許されない立場でもまれてきました。 経営者として、少しは、強くなれたのでしょうか。(笑)
◆七五三、子供の日、日米結婚式の衣装など日本の文化を取り入れた企画をされるようになったのは、それからですか?
マサコフォーマルズのオープン当初から、着物のビジネスはありました。5年前、日本文化センター様からの七五三イベントの依頼があり、それを機会に、本格的に着物ビジネスに取り組み出しました。
花嫁の打ちかけも、かつらも、新しい品揃えをするために、日本に仕入れに帰っています。 ハワイの日系人は、日本の文化を知りたいし、残していきたいと思っている人が多いです。 特に、おばあちゃんが、孫にどうしても着せたいと思うようです。
また、2005年は、ハリウッド映画の「SAYURI」が封切られて、ハワイでも着物への関心がより高まりました。ボランティアで、着物の着付けのデモンストレーションにも何回かでかけましたよ。今では、お正月、お雛様と端午の節句をあわせてこどもの日、そして七五三というように、年3回着物の着付けの依頼が増えました。そのおかげで、年間通じて、着物の写真撮影のお客様も増えてきました。今後も、この部門は積極的に取り組んでいくつもりです。
◆マサコフォーマルズさんの強みは?
現在ブライダル産業でワイキキに進出している会社は12社くらいあります。 そのうち10社は、日本からの進出企業です。 その中で、弊社だけが、地元のお客様と日本からの両方のお客様の対応をしています。
弊社とワイキキのブライダル会社との違いについてお話します。 店をアラモアナから、ワイキキから車で15分のカカアコ地区に移るに際して、随分悩みました。今はいいが、今後の日本からのブライダルが果たして、このままの状態が続くか?とても心配でした。既に、廃業や、撤退した会社が何社かありました。
母が、地元に根ざしたビジネスをしたいということで、開店当初もわざとワイキキをはずして、 アラモアナに開店したのです。その時の言葉をもう1度思い出し、カカアコ地区に移ることを決心しました。ワイキキには、地元のお客様はほとんど行きません よ。カカアコ地区は、今一番注目されている区域です。高級コンドミニアム(ほとんど億ション)が次々と建ち、新たなショッピングセンターの工事が着々と進んでいます。
こちらに移ってから、地元のお客様が30%増えました。さまざまな世界情勢の変化の風を強く受けるのが、このブライダル産業です。地元に根ざしたビジネスを大切にしながら、日本のお客様にハワイならではのサービスを提供していきたいと思っています。
ハワイには、プロム(高校生の卒業パーテイーの為のドレス)、軍関係の舞踏会、パージェント、などなどたくさんドレスを着る機会があります。それらのニーズにもどんどんこたえられる店作りをしていきたいと思っています。 地元に根ざした人気の店、それがマサコフォーマルズの強みですね。日本からのお客様にも安心していただけると思います。 今後は、もっとデザイナーズブランドや、他店にないブランドをご用意して、独自性をだしていくつもりです。
◆社員は日本人なのですか?
社員は、日本のお客様の対応は、皆日本生まれの日本人です。 企画、予約、経理もすべて日本人です。日本語が読めて、今の日本の風潮を理解できないと、こまりますからね。
地元のハワイのお客様への対応は、ハワイの人です。
お直し、メンテナンス は、日本人は1人、あとはハワイの人です。
◆社員を育てることで大切に考えていることがありましたら教えてください。
あせらないことですね。私が、たいせつにする、お客様に喜んでいただきたい、幸せになっていただきたいという気持ちを同じように社員の人たちも持ってもらい、心をこめた接客ができるように、あせらずに辛抱強く育てていっています。
大切なことは、チームワークです。社員ひとりひとりと世間話でもなんでも話せる関係づくりに努力しています。各セクションの人たちとの小さなコミュニケーションを重ねて、それらがうまくいくことで、完璧なチームワークができあがります。今一番そのチームワークづくりに力を注いでいます。
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