【桜井】お生まれはどちらでしょうか?
伊豆七島の三宅島で、10人兄弟の末っ子として生まれました。中学校までは三宅島に住んでいましたが、高校から兄や姉のいる東京に出てきました。わたしが生まれた昭和20年は終戦の年でしたが、島に住んでいたので、食糧難の経験もなく、のどかにのんびりとした子ども時代を過ごしました。小さい頃の私は、やんちゃで意地っ張りで、とても元気の良い子どもでした。穏やかな風土のせいか、おおらかでのんきで競争ということを知らずに育ちました。あまりくよくよせずにどんな時でもなんとかなると乗り切ってこられたのは、育った環境も影響しているのかもしれませんね。(笑)
◆リクルートで26年間、社内報を編集してこられて、その実績から「社内報の母」と呼ばれていらっしゃいますね。
リクルートに入社した1964年は、リクルートが創業して4年目でした、当時のリクルートは、学園祭の続きみたいな会社で、堅苦しくなく楽しく仕事ができました。初めは、人事、採用、営業企画、社長秘書などの仕事に携わっておりました。入社した頃は社員数60名くらいのこじんまりとした会社でした。社長の江副浩正さんの秘書をしていた時に、「社内報を作ろうと思うので、やってみないか」と言われました。「リクルートには、プロの編集集団があるのに、なぜ経験の全くない私なのか?」と聞きますと、「あなたは、会社の組織と社員のことを良く知っている。編集技術は後からでもついてくる」と言われたのです。物事をあまり深刻に考えない私は、「なんとかなるかも」と引き受けてしまいました。新しいことを始める時に、きっちり計画を立てて準備万端で始めるタイプと、まずはスタートしてそれから考えるタイプがありますが、私は後者の典型ですね。(笑)
リクルートの社内報「かもめ」の創刊から6年半はひとりで編集してきました。実務は見よう見まねで、取材・原稿作り・デザイン・校正・校了・印刷所との交渉・見積もり作りと全てを一人でやりました。そうしてきたことで、自分の身につきました。これはたとえ会社を辞めても、自分に残る財産です。身に付いた技術は人から盗まれることはありません。自分のためにと思って仕事をするほうがパワーがでるものです。
リクルートは完全に男女平等で仕事ができましたが、当時の会社は全体としては男性が主流で女性は補助的な仕事しかやらせてもらえませんでした。そんな社会的な状況でしたから、その後編集室に入ってきたメンバーたちには、「とにかく技術を身につけてしまいなさい。会社は辞めたらそこで関係はなくなるけれど、身につけた技術はその人に残ります。だから身につけておいたほうが得だよ」といい続けてきました。これは自分の実感でもありました。
◆社員のひとりひとりのプロフィールを暗記されたそうですが。
人に焦点をあてた社内報作りというコンセプトがありましたから、まだ記憶力がよかったので、(笑)全社員461人の差しさわりのないプロフィールを丸暗記しました。
社内報には4つの役割があると考えます。
1.トップの経営方針を社員に公平に伝える(目的の共有)
2.経営情報をタイムリーに伝える(情報の公開・共有)
3.刺激を与え、考えさせ、学ばせる(教育・気づきの場)
4.企業文化や企業風土を育て、継承する(風通しの良い、活力ある風土づくり)
企業は人で成り立っています。ですから企業にとって大切なことはコミュニケーションです。コミュニケーションとは、人と人とが交流しあって、理解しあっていくことで、繋がっていく、それがうまくいっている企業は風通しがいいと思います。このコミュニケーションをとるツールの一つが社内報です。
読んでもらえる社内報作りにはコツがあります。ひとつは、たくさんの社員を載っていること。たくさんの人が活き活きと載ることで、お互いの情報を共有しあうことができます。もうひとつは、それによって刺激を受けることです。ですから、インパクトのある情報を載せていかなければいけないと思います。必要な情報を公開し、その情報を共有することによってお互いの理解が深まり、考え、刺激を受けると、企業の風通しがとてもよくなります。社内報は、地域を越えて社員一人一人に平等に確実に届く会社の情報誌です。
当時「社内報編集室ゴミ箱論」なるものがありまして(笑)、「かもめ編集室」に、愚痴をこぼしに来たり、悩みを捨てに来たり、インフォーマルな楽しい話をしにきたりとさまざまな雑談を気軽にしに来る人が増えました。その情報の中から面白そうな情報を企画することもありました。そのような中で社内報への期待感が膨らみ、さらに多くの情報が寄せられるようになりました。
◆福西さんは聞き上手でいらっしゃるのですね。
どちらかというと、自分から話すよりは相手の話を聞いているほうですね。悩みの相談や愚痴を聞いているとなんとか解決の手伝いをしなければと思ってしまうのですが、話した相手は、話したことですっきりするようです。ですから、ただ黙って聞いていてあげることで殆どのことは解決できてしまうようです。(笑)そんなことで、編集室は情報の集積基地になり、さまざまな頼みごとが増えました。頼られることや役に立てることはとても嬉しいことで、なんでも屋だなあと思いながらも、要望に応えるのが私のやり方でした。そういう中で、こんな覚悟をしました。
1.「ありがとう」と言われなくてもいい
2.こちらがあげた情報や労力に関して、本人から報告がなくても気にしない
3.そのときどこに誠実であれば、自分で自己満足していまおう。見返りや感謝はもとめない
気が付けば、人とのいい関係作りができて、私も成長させてもらったと気づきました。
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