【桜井】東京の築地っ子なのですね。
いえいえ、築地は生まれただけって感じです。父が保険会社に勤めていたので転勤が多くて、東京から熊本・佐賀・広島・そして東京と引越しました。東京に戻ってきたのが中学三年の時で、あと1年早かったら、高校受験が楽だったと思いますよ。
◆シェフを目指そうと思ったのは?
母が料理好きで、有名なシェフの料理の本をまねていろいろな料理を作ってくれました。その本のシェフのかぶっている背の高い帽子のスタイルがかっこよくて、憧れていました。
まあ、きっかけといえばそれでしょうか。(笑)高校を卒業したら、調理師の専門学校へ行って、シェラトンホテルに入りました。当時はとても厳しい修行でした。徒弟制度みたいなものがあって、先輩は手取り足取り教えてなんかくれませんでした。先輩の技術を見て盗めって教えだったのですよ。そこに1年ほどいて、シェフが職場を変えることになり、僕は彼についてホリデイインホテルに入りました。
◆仕事の仕方の変化はありましたか?
僕が調理人の世界に入った頃は、厳しい徒弟制度が残っていて、それこそ殴られたり蹴られたり厳しい修行でしたよ。(笑)ところが、僕が上の立場になる頃には、労働基準法の管理が厳しくなって、労働時間を守らなければならなくなったし、部下が辞めたりするとそれは上司の管理能力が無いということになるので、以前のようなしかり方はできなくなってしまいました。その結果、人と人とのつながりが薄くなってしまった気がします。自分と同じような経験をしてきた人たちとは、一緒にがんばろうというチームワークみたいなものができてくるのですが、そういう経験の無い若者の中には、かっこいいことは言うけれど、薄っぺらくて、「責任は負いたくない、でもこんなことはしてみたい・・・」そんなことを言う人が増えてきていますね。(苦笑)
◆権利ばかりを主張する若者たち、これは制度にも責任があるようですね。
昔から代々続いている日本料理のお店なんか、大変ですよ。修行に時間がかかるところなのに、労働基準監督署から労働時間は8時間にしろといわれても、何本もある包丁を研ぐ時間もその内だという事になるととても時間が足りません。このままでいくと、日本の伝統文化まで脅かされると、友人の料理人が言っていました。マスコミは雑誌などで、華やかなところだけを見て憧れて入ってくる世界ではありません。しっかりとした目的意識を持って、石にしがみついてでも・・・という気概をもって入ってきてくれる若者を期待しています。
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