【桜井】ハワイでお仕事をされることになったきっかけは何ですか?
それを話す前に、すこし母の話をさせてください。
私が、小学校低学年の時、母が離婚しました。 母の実家は、400年以上続く酒屋で旧家でしたので、当時離婚は、今ほど多くなく、母は、なんとなく肩身が狭い思いをしていたと思います。でも幸い祖母が、とても温かく何不自由なく育ててくれましたので、今でも楽しい思い出がいっぱい思い出せます。
私が、高校3年生の時に、母は,電通社員だった山本氏と再婚しました。 それ以来、母は、専業主婦。姉は、その時高校卒業後ボストンに留学中でした。 姉の帰国後、彼女は、パンアメリカン航空に入社してくれたので、海外旅行は、ただ同然だったのですよ。(笑)
◆うらやましいですね。当時は今のように安く簡単に海外旅行ができる時代ではなかったですね。
私たち家族は、世界あちこちを旅行しました。母は、ハワイをとても気に入ったようで、老後は、是非ハワイに住みたいといっていました。
今のように、3ヶ月ビザなし滞在がゆるされていなかったので、会社をつくるしか手はありませんでした。そこで、いろいろ試行錯誤した結果、知人の勧めもあってウエディングの貸衣装店をすることに決定しました。
◆起業のきっかけはお母様がハワイで暮らしたいという強いお気持ちからなのですね。
当時私は、大学を卒業し、バイト程度の仕事で何もしていませんでした。深い考えもなく、母についてハワイに来ました。
人に使われた経験もなく、いきなり、人を使うようになったので、それはそれは大変でした。失敗談には事欠きません、(笑)
◆社名の「マサコフォーマルズ」とはどういった由来なのですか?
当時、山本の父が独立し、日本で活躍されていた女優の「肝っ玉かあさん」こと「京塚昌子さん」の全てのマネージメントをしていました。
ホノルルにオープンした際に偶然「肝っ玉かあさん」がローカル日本語テレビ局で放映されていたこともあり ハワイのおおらかさと「肝っ玉かあさん」を演じている「京塚昌子さん」のやさしい笑顔が大好きで「マサコフォーマルズ」と名づけました。
◆創業後はどうでしたか?
1977年当時、既に貸衣装業者は2社もあり、もうその時は、遅かったかな?と思ったくらいでした。業界最大手のワタベウエディングさんが、今年で35年以上の歴史を持っています。その頃からウエディング市場の可能性は大きかったのです。
私たちは、貸衣装業は、全くの素人でした。素人なりのアイデアで、先入観もなかったことが今思うと返ってよかったようです。お客様の立場になって考えられますから。どうすれば喜んでいただけるかを考え続けられました。
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