【桜井】
サラリーマンから企業家への転進はどういったきっかけだったのですか?
長男が、重度の知的障害を持っていました。私たち夫婦は、この子をふたりで育てていきたいと強く思っていました。当時勤めていた会社は大企業でしたから、全国に支社や店舗があり、自宅から通勤できる範囲の転勤は無理だと言われました。特別扱いはできないということなのです。
ある日、ヘッドハンティング会社より電話があり、それをきっかけに転職を考えるようになりました。ただし、条件を出しました。
自宅から通える会社であること。
小さくてもオーナー社長の会社であること。
社長が直接面接してくれる会社であること。
なぜオーナー社長かといいますと、大企業のサラリーマン社長を見てきましたが、個人保証は絶対にしません。オーナー社長とは経営に対する真剣さがぜんぜん違います。また、直接面接して「うちの会社で一緒にがんばろうよ」と言ってくれたら心が動きますよね。
そこで、花の商社に入社しました。その会社はゴルフ場造園がメインの会社で、バブルがはじけて経営が難しくなってしまいました。当時、産直の花の通販のプロジェクトを進めていましたので、その事業を引き受けて独立することにしました。
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もともと起業のお気持ちはなかったのですか?
有りませんでしたね。その時は、進めていたプロジェクトをやめてしまうとそれまで係ってくれた取引先の会社に大きな迷惑をかけることになり、その方々に責任を取らなければいけないという気持ちでいっぱいでした。妻に相談したら、きっと駄目だ!と言われると思ったら、「息子のためにもがんばって!」と言われてしまってびっくりしました。そんなスタートでしたね。
半年間は資金繰りが本当に大変でした。もう駄目だと思ったことも何度もありました。そんな時に、ある経営者の団体の先輩から、「長澤さん、いつも明るくしていなくてはいけないよ。笑う角には福がくるからね」と言われて、ドキッとしましたね。 その後、ある取引銀行の担当者が会社に訪れたときに、私は元気よく当社のビジネスプランについて語りました。すると「社長、とても夢のある楽しいお仕事ですね」と言ってくれて、なんと 1,000 万円の融資を受けることができました。これで当社は生き返りました。(笑)
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会社を経営していく原動力は何ですか?
自閉症という知的障害を持った長男です。私は息子からとてもたくさんのことを学ばせてもらいました。以前の私は、典型的な「勉強していい学校を出て大企業に入り出世して…」という家庭に育ち、その通りの人生を送っていました。ところが、息子を育てることにより、世界が180度変わったのです。
長男が小学校3年の運動会、担任の先生が「普通に育てましょう」と言って、特殊学級の子供たちも普通学級の子供たちと一緒に走ることになりました。息子は徒競走のビストルの音におびえる子でした。それまでは誰かに手を取られて誘導されて走ることしかできなくて、自分ひとりで走ることができるかどうかもとても心配でした。
よーいドン!とピストルが鳴り、耳を押さえていた息子がしばらくして走り出しました。遅いけれどゴールを目指して走っています。私は大粒の涙を流しながらビデオを回しました。ダントツのビリでした。でも嬉しかった!!感動しました。
傍らの普通学級の子供が親から、「何で3等なの!もっとがんばって1等になぜなれなかったの!」と言われているのが耳に入りました。はっとしましたね。もし息子に障害がなかったら、私も息子に同じような言葉を投げていたに違いないって。価値観が大きく変わった自分がいました。息子が変えてくれたのです。人生で大切なものは何かを私に気付かせてくれました。 妻は「あなたが仕事をがんばることは、あの子ががんばることなのよ」といつも私を励ましてくれます。私たちはとても夫婦仲がいいのですよ。(笑)
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