「桜井」お父様が浜野製作所を創業されたのですね。
1937年に創業しました。父は福井県越前町に生まれ、富山の商船大学を卒業後、大阪で仕事に出たりして、その後東京の親戚を頼り上京しました。東京に出て品川区の金属加工の会社に入り、金型職人として働きました。その後母の実家のある墨田区で町工場を始めました。私は二人兄弟の長男で、小さいときから工場で両親が油まみれになって働いている姿を見ていました。友人たちも商店や工場の子どもが多く、地域にとけ込んでいたので、仕事が生活の一部となっていて、必ず父の会社を継がなくてはならないとは思っていませんでした。
◆会社を継ごうと思われたのはいつ頃からですか?
父は職人で、私に会社を継いでほしいと思っていたようですが、面と向かって言う人ではありませんでした。大学4年の時、就職活動のためリクルートスーツを着て出かけていく私を、複雑な気持ちで見ていたのでしょう。東証1部の会社の内定をもらっていたのですが、ある日父が「酒を飲みにいこう」と私を誘いました。そこで父はお酒を飲みながら、「中小企業は楽しいぞ」と言いました。その時の父の目がきらきら輝いていました。その父の表情が今でも心に残っています。
父は福井の片田舎の漁村から上京し、小さいながらも会社を作ってがんばってきました。私はその姿を毎日見て、少しは手伝ったりもしてきました。長男でもあり、せっかく両親が油まみれになって築いてきたこの会社を無くす事はできないと思い、会社を継ぐ決心をしました。
両親はそれまで会社を経営してきて、苦しいこともあったことでしょうから、私が継ぐことに関して嬉しい反面、経営していく大変さも多いと、心配もあったことでしょう。
◆ では大学を卒業してすぐ会社に入られたのですか?
いいえ、まずは修行が必要です。かといってどこかの大手の会社に務めていた二代目が帰ってきて社長になったとしても、従業員はついてこないでしょう。100〜200人規模の会社であれば、社長はマネジメントをすればいいかもしれませんが、従業員3〜4人、取引先4社の会社ではまず製品知識や技術を持つことが一番大事であると思い、父の会社と取引のあった板橋区にある精密板金加工メーカーに丁稚奉公に入りました。ここで10年間いる予定でしたが父親の病気の関係で結果として8年で退社致しました。金属加工の現場で技術を学びました。1993年、父が癌で他界し、私は浜野製作所の代表取締役を受け継ぎました。母が経理と資金繰りをやっていてくれましたので、私は社長として営業と製造に力を入れていればよかったのですが、5年後、母が急逝し、そこからは経営のすべてが私の肩にかかってきました。
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