【桜井】アメリカに留学を志したのは?
母が自宅で英語塾をしていましたので、小さい頃から教会に連れて行ってくれたり、外国からの留学生を家で預かったりしていて、英語が大好きでした。大きくなったら、絶対にアメリカに留学したいという夢を持っていたのです。母の影響がとても強かったです。
母と同じ短大に進み、翌年一年間休学してアメリカに留学しました。これには父親は大反対だったのです。「危ない!」ってね。でも母が父を説得してくれました。帰ってきたら、なんと父は「祐子ちゃん、本当に行ってよかったね!」とニコニコ顔でした。(笑)
◆留学中はいかがでしたか?
「わたしも英語がしゃべれるようになりたい」と思って勇んで行きましたが、いままで英語は一番得意だと思っていた私の自信が見事に打ち砕かれました。
アメリカンヒストリーを専攻したのですが、先生から「君は英語力が無いのか、もともと歴史的知識が無いのか、どっちなのだ?!」といわれてしまいました。(苦笑)そこで、ドイツ人やフランス人の留学生と友達になって、彼らに添削をしてもらって、何とかついていけるようになりました。この留学で得たものは、性格が180度変わったことです。留学する前は、人前が苦手で、おとなしい女の子だったのですが、アメリカから帰ってからは、ジーンズをはき、道端で胡坐をかいてすわっちゃうようなワイルドで自己主張をしっかりできる人に変りました。(笑)あの留学がなければ、今の私もないかもしれませんね。
◆会社では、海外技術部に配属されましたね。
これにもエピソードがありまして、アメリカで香港やドイツの友人ができまして、履歴書の趣味の欄に、「中国語・ドイツ語」と書きました。入社試験は、見事合格し、狙っていた部署に配属!!
上司に、「ところで、どのくらい話せるの?」と聞かれたので、「はい!ニイハオ!グーデンターク!!」っていったら、「えっ?!(汗)」と大爆笑されてしまいました。(笑)入社後は、英語力を生かして、技術的な文章の英訳などの仕事をさせていただきました。
主人とは入社前から付き合っていたのですが、彼が東京に転勤になるので、結婚したいと父に言いましたら、「最低2年は勤めなさい」と言われ、2年勤めて、結婚のために横浜に行くことになり、子会社を紹介していただきました。この会社で2年勤めていましたが、仕事に慣れてくると時間ができ、将来のことを考えだしました。やっぱり英語にかかわる仕事がしたいと思い、転職雑誌を見ていたら、「児童英語教師」という文字が目に入って、試験を受けたら幸い受かって、1年間児童英語教師をやりました。
◆それからご主人が起業されたのですね?
はい、主人は、それまで商社に勤めていたのですが、ある日、「独立して起業したいんだけど・・・」と切り出されて、「いいじゃない、やればいいじゃない。私経理の勉強をするから!」と私は迷うことなくついていこうと思いました。始めは自宅兼事務所からのスタートでしたが、毎日がとても楽しかったです。経理の本を買ってきて、会計士の先生にいろいろと教えてもらいながら、頑張りました。主婦業もしっかりやりました。仕事に家事に、あの頃が一番両立していましたね。(笑)いい時間に追われていて、充実していて、自分としては主婦として、妻として理想的な感じでした。
起業後、カナダ Bi-Op社(バイオップ)のオーダーメイドインソール(足底板)を扱う事業を展開することになりました。カナダからBi-Op社の社長が年1回来日していましたので、その時の通訳を任せられました。英語にかかわる仕事をしたかったので、ぜひやりたいと思いました。ところが、日常会話には自信はありましたが、専門的な知識もないし、専門用語もわからず、日本語でもわからないことを訳せるはずはありません。そこで、まずは、足に関する専門書を手に入れました。それを読破して、専門用語を書き出し、英語に訳して自分なりの辞書を作り、それをひたすら覚えました。2年間通訳をしていたのですが、通訳の仕事の依頼をしてくださった京都の会社の方から、「関東にも足にトラブルを持って、このインソールを必要としている人が非常に多いので、拠点を作りましょう」と進めてくださったことがあって、横浜にお店を構えることになりました。それが、この ペディ・ケアです。
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