【桜井】ちいさい頃はどんなお子さんでしたか?
1月生まれのせいか、なにをやってもトロイ子でした。幼稚園はキリスト教の教えで育てて下さいましたので、心のどこかで神様が見ていると思うところがあります。かけっこも遅かったし、扁桃腺でよく熱をだす子でそういえば肺炎にもなりました。
◆学生時代に夢中になったことはなんでしょうか?
授業では、理科が得意で中学時代はほとんど試験で間違えた記憶がないくらい。高校時代は登校拒否症でしたので、本当に何に夢中になっていたのか自分でもわかりませんね。童話作家とかマジシャンとかわけのわからないものに憧れていたようにも思います。(笑)生物部でよく尾瀬や土湯高原の高山植物の写真を撮っていて、花の名前はとてもよく覚えました。部活の先生がいなかったら、登校拒否のままでどうなっていたのかしらと思います。
◆ソフト開発の仕事をしようと思ったのはいつごろからですか?
高校は女子校でしたので理系は10クラス中2クラスでした。しかもほとんど99%が医療系の学校に進む人でした。
国立の医大に進めるように成績ではない私は、医大の付属医療専門学校で学費も出る推薦入学の面接までは受けましたが、人の生死を見守る仕事につく勇気がなかった。面接は散々な状況で、結局コンピュータの学校に入りました。
不器用でしたが、なにか作る仕事につきたいという思いが自分の中にありましたので、プログラムを作るとか、システムを作るという仕事を専門的に行うシステムエンジニアという仕事があるのだと知って興味が湧きました。その仕事が自分に向いているかどうかは、正直、最初の頃は自信がありませんでした。
学校に進み、半年で資格を取得したとき、ようやく不向きではないのかもしれないと思うことができました。プログラムを作り動かす時の息の詰まるような緊張感と出来上がったプログラムが動く時の感動は、プログラムの仕事を離れたいまでも忘れられません。
◆起業することになったのは ?
最初の会社を辞めて独立するという人について会社を立ち上げるところから経験しました。一年半もしないうちに、その社長が売上をもって事務所を閉めどこかに行ってしまったので仕方なく就職先を探しました。(苦笑)
しかし、当時は就職氷河期の時でしたので、私以外のスタッフは、若いと言うだけで仕事が見つかりませんでした。丁度、その前の仕事で一緒だった友人が「新しい案件が受注できたからお客さまのところに行ってみたら?」と言うので、彼らの仕事を別会社経由で出して貰えないかとお願いに行きました。
しかし、お客様は「取引の無い会社に仕事を出すことは全く考えていない。君が社長なら信用して仕事を出すがどうなのだ」と言うのです。みんな自分と一緒に働いてきたスタッフでしたし、技術力があることを知っていましたから、取りあえず食べて行ければよいと思って会社を始めることにしました。会社の創業の方法も知っていましたし、得意とするRDB(リレーショナルデータベース)の技術は、これから成長を期待できましたので大きな不安はありませんでした。ただ、大きな目標があったという感じではありませんでした。
「働く人が幸せでお客様が喜んでくださる会社、まじめな技術者の楽園を作りたい。それは技術が世間より勝っていれば実現できる」
そんなことを漠然と思っていました。志を持って起業した諸先輩に比べるとなにかピリッとした感じがしませんよね。決して、カリスマ経営者というタイプではないです。(笑)
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