【桜井】子どもの頃のことをお伺いします。
北九州市に生まれまして、僕は4人兄弟の長男で、弟が2人、妹が1人です。実は僕は純潔!のAB型なのですよ。祖父も祖母もAB型で、父も母もAB型です。小さい頃は学校の成績が良くて、中学生までは親戚中でも利発な子として期待が大きかったようでした。(笑)
でも自分としては、小・中学校の時代は淡々の平凡に過ごしてきたように感じます。何もなかった、ただ淡々と・・・。そういうのって好きじゃないんです。
引越しした当時はなかなか学校にも馴染めなかったけれど、こっちに来ることが無かったら、今の自分も無かったでしょうねぇ。初めに行った高校は、公立の受験校でかなりレベルも高かったのですが、学校に行くものつまらないし、もっと好き勝手にしたかったので、2年になった時にやめてしまいました。両親からはめちゃくちゃ叱られました。当時すぐ下の弟はかなりのワルで親に心配をかけどおしだったので、その上自分のことで親にとってはかなりの心労だったと思いますよ。でもその時は、僕は自分自身のことさえまともに考えられない状態でした。だから、周りのことを考えるゆとりもありませんでした。
◆それからどうなさいましたか?
半年間、いろいろなことをして、お金を稼ぎました。でもこのままじゃいけないと思って、どうせだったら一番倍率の高い公立高校にと、入り直しました。高校に入ったものの、新しいお金の稼ぎ方に出会ってしまって、学校では殆ど寝ていました。(笑)でも成績はよかったので、先生は黙認してくれてました。
人から教えられたり、一方的に言われたりすることがとても苦手でした。まったく頭に入らないのです。みんなが授業をうけている時に寝て、みんなが遊んでいるときに仕事をして、みんなが寝ているときに勉強をしていました。1つの仕事に、もう1つプラスしたらどんな相乗効果が得られるかなって、考えたりするのって楽しかったですよ。
◆高校を卒業されなかったのですか?
お金の稼ぎ方はそうやってある程度わかったし、何があってもそれなりに生きていける自信はありましたね。でももっと高いステージで成功したいという目標が芽生え始めて、社会をより知るためにもと思い、ベンチャーの通信会社に入りました。その会社では、卒業の前から入社していまして、すぐに仕事をしろということで、結局高校はまた中退してしまいました。その会社では、18歳で入社、19歳で課長になりました。
◆天性の営業能力をお持ちのようですが。
そうみたいですね。当時、営業で数字を出していくということに生きがいを感じていました。学校の試験の点数をとってもそれが将来のどんなものさしになるかわからなかったけれども、営業で成績を出すことで、自分が社会の中でどれだけ成長していけているかという明確な実感が湧きました。営業の連続受注記録をどんどん更新していきました。そんな時に、僕のクレーム対応をしてくれたのが、フリーセルの現専務の山田なんです。クレーム対応が苦手だったもので、大先輩の山田に頼んだのも、19歳という若気の至りということです。でもそれがあったので今があるのでしょうね。(笑)そこでは、もう一人、常務の木村との出会いもありました。
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