山形県遊佐町は鳥海山の麓にありますね。
母の実家があって、家族全員で疎開し、そこで私が生まれました。姉と妹の4人兄弟です。5歳まで海と山の自然豊かな遊佐町で育ちました。当時は水道もなかった時代で、鳥海山の雪解け水が湧き出る川の水を汲んで飲んでいました。おいしかったですよ。5歳で東京に戻りましたが、毎年学校が休みになると母の田舎で過ごしました。夏は海に潜って岩牡蠣採り、大学時代の冬は鳥海山でスキーと自然の中で遊んでいました。
5歳からは東京で過ごされたのですか?
家族全員で東京の府中市に引っ越しました。父は技術者で、米軍基地で働きはじめました。中学生の時、基地の縮小で父が失業、高校から特別奨学金をもらいながら学校に通ったという経験をしました。大学は北海道大学を受けたのですが、幸いにも落ちて(苦笑)親もホッとしたことでしょう。私は長男ということもあって、親のそばにいてあげたいとその頃から思っていたこともあり、東京の大学に進みました。
大学時代はワンダーフォーゲル部に所属していました。1年の3分の1は山に入って、勉強らしい勉強はしませんでしたねえ。(笑)夏休みは10日間ほど集団での山で合宿に入ります。山でテント生活をするので、道具、食料、薬などをすべて背負っていきます。天気図の勉強や健康管理、食料の管理方法や料理方法、合宿資金の調達などなど、山で10日間生き抜いていくために細かなところまで計画をたてます。 体力の極限まで使い果たすと、人間性がむき出しになることもあります。集団生活の中で、自分の役割を認識してやり遂げる為には、日ごろから体力づくりも欠かせません。強い精神力も要求されます。山を下りたときの達成感と充実感はたとえようもありません。山登りをきっかけにずいぶんと幅広い勉強をさせてもらったと思っています。私の学生生活は必死になって真面目に真剣に命がけで遊んだといってもいいでしょう。
今の学生はかわいそうですね。就職活動とバイトの明け暮れで、本当の学びができていないのではないでしょうか。青春を豊かに過ごしている姿が見えてきません。もう少し一所懸命に真面目に遊んだらいいと思うのですが。遊びの中から育つものがあると思います。幅広い教養が日本の教育から抜け落ちてしまっているように感じます。実務だけの人間では、会社という組織を動かすことはできないでしょう。人を動かすことや、やる気にさせることは、小手先の技術の切り売りではできることではありません。教育とは、人間形成の場であるべきだと思います。会社に入って仕事をするということは、どういうことなのか。人間の総合的な力をつけることはとても大切なことです。
ワンダーフォーゲル部での学びが今の旅行業につながっているのでしょうか?
結果としてそうなったということですね。父親は技術者でしたので、私は技術系には進みたくありませんでした。同じ道に進むと親は何かと口を出したがるものです。だから大学ではスペイン語を専攻しました。(笑)かといってスペイン語を役立てた仕事とも思っていませんでした。それに、親戚にいろいろは商売をやっていた人がいたのですが、皆事業を潰していました。社員も家族も不幸にする人たちを見ていましたので、自分は絶対に商売なんかしないしないぞと思っていました。自分がまさか会社の経営をやることになるとは、思っても見ないことでした。(苦笑) メーカー貿易部に入社が決まっていたのですが、貿易の仕事は海外生活が殆どです。長男という立場ではそれはまずいと思い、その会社に行くことをやめました。知人から富士国際旅行社を手伝ってみないかと言われ、2〜3年手伝い気分で入社することにしました。入社当初は腰掛気分のダメ社員でした。(笑)
腰をすえてこの会社で頑張ってみようと思われたのは?
旅行の仕事が好きになったのは、2年ほど経ってときに、スイス・アルプスの大きな仕事をとって、ひと夏にアルプスで1ヵ月過ごすことが2回続けてありました。仕事でアルプスに登れるなんて最高だと思ったことが、間違いの基でしたねえ。(笑)
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