【桜井】歴史ある蔵元に生まれて、小さい頃はどのように思っていましたか?
周囲の大人、地域の人たちから「若竹屋の坊ちゃん」と呼ばれ、私の知らない人でも私のことを知っている…そんな環境だったので、正直言って窮屈に思っていました。
思春期の頃には、変化のない田舎がつまらなく思え、父へのコンプレックスも加わって、「若竹屋なんて継ぎたくない」と思うようになりました。こんな小さな町の、小さな酒蔵で一生を終えたくなかったのです。田舎に住む自営業の後継者なら誰でも似たような感じでしょうか。
◆高校を卒業後東京に出られましたね。
私の父は大阪大学を卒業し博士号を持つ秀才です。ですから強いプレッシャーがありました。ところが私は中学入試以来、受験にはすべて失敗していまして・・・高校でもろくに勉強はしていませんでした。反発もあってとにかく親元を離れたくて、東京の大学の夜間部にもぐりこみました。そして昼間のバイト先だった広告代理店に拾われた、という感じですね。バブル期の広告代理店ですから仕事は派手で楽しいし、まさに青春を謳歌していました。そんなある日、実家から「百貨店の催事で試飲販売をする。バイト代を出すから手伝え」と電話があり、会社もちょうど春休みで、苦学生の身分としては是非もなく引き受けました。
さて、一日目。それまで呼び込みなんてしたことのないボンボン育ちの私は、意外な恥ずかしさに「いらっしゃいませ〜!」という声を出すことが出来ません。もちろん売上は皆無。これでは実家に対し面目が立ちません。
二日目。目をつぶり、下を向いて、恥ずかしさをこらえながら大声を出してみました。すると、お客様が寄って来て下さるではありませんか。嬉しくなって、少し恥ずかしさも薄らぎ始めました。「チョット工夫してみよう」と思い、筑後弁で声を出してみました。「いらっしゃいませ。福岡の地酒はどげんですか?美味かですばい!」(笑)
そうしたら、お客様が押すな押すなと寄って下さいました。さあ、そうなると俄然面白くなりました。お酒の味の説明を加えたり、試飲コップの渡し方に工夫したりと、色々と手を打ってみればそれに応えて酒が売れました。そうして、ようやく余裕が出てきて、ふと私は手に持つお酒に目をやれば、それは私が帰省の折にラベル貼りを手伝った商品だったのです。その瞬間、私の身体を電流が貫きました。
それまで頭で理解していた「経済の動き」が私の身体に流れ込んできました。米が育ち酒になり、お化粧されてトラックに乗り、店頭から私の手を通りお客様に渡る。その過程に携わった様々な手、ひび割れた農夫の手、ラベルを貼る蔵人の手、ハンドルを握る運転手の手、在庫を並べる店員の手、手、手・・・その手に、今私が受け取ったお酒の代金が巡り戻ってゆく。しばし感動の波に体を任せた後に思ったのです。「僕は若竹屋の後継ぎには向いているかどうかは分からない。でも、若竹屋の仕事はきっと好きになれる!」と。
◆それからどうなさいましたか?
西武百貨店での試飲催事はなんと、売場歴代二位の売上でした。その一週間後母から手紙があり、催事の労をねぎらう内容とともに、お客様からの一通の手紙が同封されていました。「この度は西武百貨店で御社のお酒を買い求めましたところ、大変美味しかったものですから礼状をしたためました。
あの時、元気な声で爽やかに呼び込みをしていた若者に惹かれ売場に寄ったのですが・・・」こう書き綴られた礼状に私の心ははっきりと決まりました。「若竹屋は素晴らしい仕事をしている。父との確執など取るに足りない理由は横に置いて、後継のための勉強をしよう」と。その後すぐに広告代理店を辞め、流通の勉強をするために西武百貨店に入れていただきました。
15年前に実家に戻ってきましたが、その時はまだ経営への意識は低いものでした。帰郷して3年目に、若竹屋はどうも儲かっていないのでは?・・・と感じて、初めて決算書をみたのです。内容は、真っ赤でした(笑)。しかも借入のほとんどに私の連帯保証の印が押されていて・・・。これでは自分の生活設計も危うい!と思い、手探り状態ながら必死な思いで経営計画書を作成しました。その年から自分の事を後継者ではなく経営者と自覚しています。
◆ご家庭のことについてお伺いいたします。
妻は中学の同級生で、実は初恋の人です(笑)。小学3年生の息子と、幼稚園児の娘と暮らしています。祖母は株式会社紅乙女酒造という焼酎メーカーを経営し、父は株式会社巨峰ワインを経営している醸造一家です。
商売人の家に嫁いできた妻は、かなり戸惑ったようです。夫はまともな時間に帰ってこないし、深夜に酔ったお客さまからの電話は鳴るし、来客は絶え間がないし・・・。いつ逃げ出しても文句が言えないと思っていますが、本当によくやってくれています。
そういえば以前、息子から「お父さんは忍者みたい」と、また娘からは「お父さんは魔法使いだね」と言われました。「どういう意味?」と聞いたら、「だって夜は居ないのに、朝になったらいつの間にか居るから」だそうで・・・(苦笑)家庭人としては失格だなあと反省しています。
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