◆その中で、いち早くウェブや情報処理の分野に事業展開を図られたのですね。
いってみれば、私は新しもの好きなのですよ。(笑)常に新しいものに興味を持ちます。経営者は、常に時代の先を見る目を持っていなければいけませんね。そのために、新聞や雑誌などでの情報収集や、中小企業家同友会のような異業種の団体や同業社の集まりによく参加します。東京ですからいろいろなセミナーや講演会がありますね。インターネットで探しては、興味のあるものには積極的に参加しています。
◆事業継承はどのようになされたのですか?
2001年にパーキンソン病と診断されていましたが、その2年前くらいから、肩が痛んで夜も眠れない日々が続いていました。それで順天堂病院の整形外科に行きました。診断は「首の骨が神経に触っている」ということでした。科が違うとこうでした。(苦笑)日本ではパーキンソン病では名医といわれる先生の集まっている順天堂病院でさえでした。セカンドオピニオンをとることはとても大切です。
私の病気をきっかけに、息子に会社を任せる方向で動きました。ところが、社長だけが変わって、他の役員は私が社長のときのままでは、どうもうまくいきませんでした。私の人格と、息子の人格は違うものですからね。数年試行錯誤の末、役員の若返りを図り、息子と同世代の山崎という専務とのいい組み合わせができて、やっと体制が整いました。
◆その後の事業の展開はいかがですか?
今中心となっている仕事といいますと、医学学会の開催業務のシステムを開発しまして、その運営業務です。これは、各学会の一人の事務局員がこなしていた仕事です。それをコンピュータ化してしまったわけです。学会は5〜60ほどありますので、殆ど一年中切れ目なく仕事があります。学会に関する印刷物全般と受付業務のシステム化を一元的に請け負っています。この仕事は、3年ほど前、専務の山崎からの提案で始めた事業です。時代の匂いを感じることができる人物です。お客様が何を望んでいるかをかぎ分ける力です。提案型の営業ができることはとても大切ですね。
私が元気だったときは、新規開拓はすべて私がやっていました。顧客になると部下に渡して、また私は新規開拓をするということをやっていました。いうなれば、部下をそだてられなかったのですよ。(苦笑)私の仕事のやり方は常に提案型でした。やっと後継者が出てくれたと喜んでします。
◆ 今までにどのような提案をされてこられましたか?
そうですね。「今日は何の日?」を本にする企画を日本能率協会さんに提案して2回発行していただきました。何月何日に政治・経済・一般社会でどういうことがあったのか、ありとあらゆるデータを集めてデータベース化し、印刷物化しました。
また、日本経済新聞さんのリクルート情報誌を発行している子会社に、Uターンを考えている人向けの就職情報誌の提案をして採用されたこともありました。その時代にあったものを提案していきましたね。
今でも続いているものとしては、旺文社さんに提案した仕事があります。これは、全国の県立高校と私立有名高校の100校分のその年の入試問題をデータベース化し、完全原稿で印刷の前段階まで受け持ち、店頭に並ぶ書籍はもちろん、同じデータの再利用として、学習塾のニーズに合わせた問題集作りをできるシステムです。
2007年1月から、本のスリップ(売り上げカード)のバーコードが変更になるので、このスリップを在庫している本まですべて変えなくてはならないわけです。そこで、このスリップの印刷制作一連の作業のラインを作りました。これはインターネットで受注するシステムです。完全に収益に貢献できる事業になりました。