◆「他社で断られた情報処理から印刷の相談」を受けられるということはどういうことでしょうか?
当社が設立しました昭和50年(1975年)は軽印刷用電算組版システム」が開発されていた頃です。多くの企業は、入力機としてワープロを導入していきました。しかし、当社は、当時ベストセラーだったパソコンN−98を導入する決断をしました。これは日本で初めてだったと思います。ワープロでは、情報処理などデータ処理ができません。それで苦労を覚悟の上で、パソコンを導入しました。その時分から開発型でしたね。すべてパソコンでというのは、当社が初めてだったと思いますよ。
現在、導入しているパソコンは、マッキントッシュはもちろんですが、メインはウィンドウズで、98からXPまでクライアントさんがどのような環境で作成したデータにでも対応できるようになっています。これがわが社の強みで、それが、他社で断れた情報処理から印刷の相談ができるということなのです。
◆お仕事に対するポリシーは?
私は何しろ仕事が好きでした。すべてが仕事優先でしたね。家庭のことはすべて妻にまかせっきりでした。しかし、会社は社員のものだと思っていますよ。当社はあまり上下関係を意識しない社風なのです。なんでもものが言える空気をつくっています。最近、私は 「ワイズ&ブログあらき」という情報技術が結ぶウェブと印刷メディアのブログを作ったときなどは、社員からさんざん悪口を言われましたよ。(笑)
◆「全国パーキンソン病友の会」の東京代表役員として、江戸川区に支部を立ち上げましたね。
2001年に、パーキンソン病と診断されてすぐに、江戸川区に支部を立ち上げようと動き出しました。江戸川区役所や保健所に足を運び、また、私が通院している臨海病院の院長先生にも全面的に協力をしていただき、約50名の会員で立ち上げました。全国パーキンソン病友の会は、全国組織で東京支部が本部も兼ねる存在です。東京支部全体の総会を江戸川支部の立ち上げにもってきました。大々的に宣伝して、500名近い人の出席の元に立ち上げることができました。
◆そんなに動かれて、お体は大丈夫だったのですか?
その時は病気に負けていましたよ、精神的にはね。じっとしているほうが、病気に負けると思ったのです。そういう恐怖感に追い立てられた産物といってもいいでしょう。
人から負けとは言われたくないという思いでやってきていますね。負け惜しみかな。(笑)
現在は週3回の午前中3時間のリハビリに通っています。
ジャグラ(社団法人日本グラフィックサービス工業会)においては、病気を発症してからも、専務理事という役職で各都道府県支部に出かけ「これからのインターネット時代に印刷業はどうあるべきか」というテーマで講演をしてまわりました。
現在、重度の難病の指定は、治療費が無料ですが、それを国は所得制限を低く設定して、無料で治療を受けられる人を半分くらいに削ろうとしています。それに対して反対運動をしています。厚生省にも数十回足を運び、委員会に参考人を送って現状についての理解を深めてもらったり、マスコミに報道されるようにしたりという活動をしています。若くして病気になった人もたくさんいます。定年前に発病して退社した人などは悲惨です。できるだけ力になりたいと思っています。
また、こういう団体は、それまで「私たちは弱いので助けてください」という空気が充満していました。いうなれば、「負け犬集団」でした。私はそうではなくて、「もっとうまく立ち回ろうじゃないか!病気にはお金が必要なのだから、もっとビジネスになるような動きをしようよ。製薬会社とも、もっといい関係になろうよ」と提案していきました。
すこしずつ賛同者が役員に加わってくれるようになってきましたね。前ローマ法王や毛沢東のこの病気になりました。この病気になる人には、頭のいい人が多いのですよ。だから、理屈っぽい人が多い。(笑)意見をまとめるのは結構大変ですね。
先日も、パーキンソン病の知識を高める講演会を製薬会社とタイアップして企画しました。
患者さんの中で絵を書く人が数人いまして、その方々の展覧会を併設しました。その絵を製薬会社が来年のカレンダーに使ってくれることになりました。お金は天から降ってくるものではありませんからね。自分たちから仕掛け作りをしていかなければいけませんね。
「難病患者の自費出版を助ける会」という企画を考えています。結構ものを書きとめている人がいるのですよ。今までに4人の方の本をボランティアで出版してあげました。たとえば、そういう本を買ってもらい、その代金をその助ける会に振り込んでもらい、その資金で新しい人の本が出版できるようになるといいと思っているのです。
◆病気と闘っている方にとっては、それは大きな生きがいにもつながりますね。
荒木さんの座右の銘はなんでしょうか?
座右の銘ということではありませんが、先日、ある障害者雇用を考える勉強会に参加したとき講演を聞いたことから、自分なりに書いた言葉があります。
「病気や障害をもつが故に、今までなら絶対に会うことが無い人と出会いや体験を、天からのご褒美と捉え自分のため、病に負けて失望と悲観で生きている人に、『普通の人と同じように生きられる』見本に私はなりたい。その為にも、ずーと、一人で歩くためにもリハビリを一生懸命つづけよう 」
私は、病気にならなかったら、きっと何か他の仕事でも成功していたと思います。どんなことでも、切り開いていくことが好きなんですよ。
◆荒木さんの強い意志を感じます。素敵な言葉ですね。最後に心がけていることがあればお話ください。
いろいろな集まりや会がありますが、そこで何か得ようと思うならば、常にトップになることです。名前だけを連ねているだけでは、本当に必要な情報は入ってきません。その会を動かす中心にいることが大事です。汗を流した分だけ、得られるものも大きいものです。
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