◆起業のきっかけは?
21歳で、その会社を辞めました。その時から起業を視野に入れていました。まずは準備をしようと、水道水を軟水に変える磁石を売っていました。事業としてやりたいかったことは、世の中に文化と価値が残せるようなことでした。磁石の営業で周っていた時の駅のホームで、歯科医院の看板が多く目に入ってきました。
歯科治療は、100人に治療を受けると100通りの治療結果が出てしまいます。その歯科医院の宣伝媒体は、駅の看板やタウンページと活字媒体のみです。歯科医院は全国に65,000、なんとコンビニの2倍あるのです。これは何かしらビジネスになる!と思い、「歯科タウン.com」という歯科医院向けのポータルサイトを立ち上げることを考え、山田を強引に誘って、有限会社フリーセルを設立しました。当時歯科医院向けの専門サイトは30ほどありましたが、平均月3,000円の料金設定だったのですが、当社は、月30000円に設定しました。一日に500件電話営業したこともあります。HPも無く、立ち上がってもいない歯科タウンサービスを電話と訪問で売り込んでいきました。
◆半年でどのように株式会社にされましたか?
有限会社フリーセルのスタートは、2畳の窓も無い箱でした。3ヶ月目で資本金が底をついてきて、もう死ぬ気でやるしかありませんでした。あの時のお金の無いのは、中学時代以下でした。毎日の主食がカップラーメンでしたから・・・。山田と二人だったので乗り切ってこられましたが、つらい経験でした。またもう一度やれって言われたらもうごめんです。(笑)お客様にも、裸でぶつかっていきました。
半年で株式会社にするとはじめから決めていましたから、何が何でも半年で1000万円にと、山田の車から、僕のパソコンからありとあらゆるお金に換えられるものを資本金に繰り入れました。それくらい半年で株式会社にすることにこだわりました。「やると決めたことは絶対にやる」これが、前職で学んだ一番大きなことなのです。
◆その後は順調でしたか?
ベンチャー企業は、「ビジョン」を持っていなければやっていけませんが、壮大なビジョンだけでは、無理です。地に足の着いた経営があってこそ順調に伸び続けられると思います。その点、当社は、大きなビジョンの前にまず目先の一歩を大切に頑張っていました。
社員が30人くらいになった時に、僕にとっての壁がありました。それまでは、社長というよりは、プレイングマネージャーといったほうがよく、ビジョンも目標もしっかりと固まっていない中で、「よしいくぞ!」頑張ってみても、社員も入っては辞めていく人が多くて、自分のカリスマ性の無さに落ち込みました。孤独感にもさいなまれた時期でしたね。その中で、僕についてくれる社員に背中を見せることが大切だと思い、ひとりで大阪支店、福岡支店を立ち上げました。カバン1つを持って現地に入り、始めはラブホテルに泊まり、そこからテレアポを入れたりしながら営業してきました。その後、水もガスも出ないようなマンション生活を2〜3ヶ月続けて、30件ほど契約を取り、結果を持ち帰りました。
◆御社の事業内容は?
お話ししたように、歯科医院の専門情報サイト「歯科タウン.com」のような情報特化型のポータルサイト事業からスタートしましたが、現在はその経験を生かし、中小企業の皆様へのWebコンサルティング事業にも力を入れております。
サイトの立ち上げから、Webプロモーション、そしてSEO対策(検索エンジン対策)やリスティング広告(検索連動型広告)にいたるまでのコンサルティングを行っています。現在毎月お客様が100件のペースで増えています。
これは、自社の収益性を度外視して、まずは安価なサービスをご提供して、そこで結果を出していこうというスタンスを取り続けたことで、多くの方の信頼を勝ち取ることに成功しました。
Webの世界は唯一中小企業が大企業と対等に渡り合える場ではないでしょうか。中小企業の皆様には、もっとこのWebの活用に力を入れていただきたいですね。私たちはお客様にご信頼戴き、より深く入り込んだご提案をさせていただき、お客様同士をビジネスマッチングさせて、新しいビジネスの創造のお手伝いもさせていただいています。お客様は中小企業だからこそお互いの強みを組み合わせて、弱みを克服しながら共存共栄していくべきだと思います。