◆帰国後はどうされていたのですか?
1993年、アメリカでピアニストをしている妹が父が元気なうちに日本でリサイタルを開きたい、と言ってきました。妹は私と違って才能も実力もあり、高校3年のとき叔母のいるアメリカに留学をして南カリフォルニア大学で奨学金をもらいながら大学院、博士号までとり、ピアニストとして活動していました。
亡くなった母がいたらどんなに喜んだだろうと思うと今でも涙が出そうになります。そんな妹のために、なにかしようとコンサートのプロデュースをすることなりました。
私も、ロンドンから帰ってきたばかりの怖い者知らずということもありましたが、とにかく妹のコンサートを成功させなくてはという思いで、日本語と英語で作ったニュースリリースを持ってアメリカ大使館をはじめいろいろなところに売り込みに行きました。電話帳で番号を調べて、アメリカ大使館にも直接交渉しました。私の思いが通じたのか、アメリカ大使館が後援についてくださいました。いろいろな団体・財団・マスコミに直接交渉していったのですが、アメリカ大使館が後援しているのならと、日米文化協会や文化放送、そのほかいくつかの団体が協賛してくれました。カリフォルニアワイン協会にも英文のリリースを持って行きました。
すると、「お金は出せないけれど、カリフォルニアワインを提供しましょう」ということになり。「カリフォルニアのワインを飲みながら新しいカリフォルニア音楽を聴きましょう」と休憩時間には無料でカリフォルニアワインをサービスするというコンサートを開催することになりました。
その結果、雑誌や新聞、テレビ・ラジオでも取り上げていただき、コンサートは大盛況でした。無我夢中で私利私欲を離れて動くことが成功の鍵だと気づき、これは私にとって大変な自信となりました。
◆それがいまのお仕事へのスタートだったのですね?
多くの方々の協力もあって、コンサートは成功のうちに終わったのですが、これがきっかけとなって、その後いろいろなお仕事をいただくことになりました。
コンサートでは妹の仲間や私の友人、JAL時代の仲間たちがボランティアで受付や案内などを手伝ってくれたのですが、外国人のお客様にも「接客のプロ」たちの対応が好評で、それを見ていたある方から、「国際会議のコーディネーションを頼みたい」と頼まれたのです。受付や案内、資料の英語翻訳といった仕事でしたが、英語が話せる知り合いもたくさんいるし、一日や二日だったら子育て中の友人でも大丈夫だろうとお引き受けしたところ、これもまた非常に高く評価していただきました。
また、ある人材派遣会社がキャリアカウンセラーを募集している記事を見つけ、採用条件は40歳以上でしたが応募してみました。当時30代の私を含め数名が採用となり、そこで、アメリカや日本の著名な先生方からキャリアカウンセリングを学ぶ機会をいただいたのです。女性のキャリア相談に答えるキャリアカウンセラーや、キャリアビジョンをたてるためのセミナーの講師もするようになりました。こうしたことすべてがたった1年の間に同時に動き始めました。今振り返りますと、「激動の93年」だったと思います。(笑)
◆会社を設立されたのは?
会社はもともと父が設立したもので、当時私は個人の講師として仕事をしておりました。父は会社設立後体調を崩してしまったものですから、事実上休眠状態になっていました。
社名の「ビジヨンテツク」は設立時からのものです。もともとは広告代理店だったのですが定款には研修業務や音楽教室、英語教室運営などが入っていました。私と妹に何か残したいと考えていたのだと思います。この会社は亡くなった父からのプレゼントだったのではないかと思っています。
◆御社の事業内容についてお話ください。
当社の講師陣は元国際線の客室乗務員、元アナウンサー、企業の人材開発部門出身者などで構成されています。人と接するプロが揃っています。彼女たちの経験を活かし、実戦的なコミュニケーションスキルをわかりやすく、丁寧に、きめ細かく指導しています。
当社の強みは「ホスピタリティマインド」といって、形だけではなく心が伴ったマナー、相手の気持ちを酌み取り、対応できるマナー研修ができることです。マニュアル通りではなく、相手の感性をキャッチして察する、相手に合わせた応対ができる、そんな人材を育成するための優秀な講師陣とノウハウがある、というところでしょうか。心理学の交流分析やコーチング、コーピングなども組み込んでいます。
この夏、私自身がコーピング(ストレスの対処行動)の勉強をして、MJC認定ストレスコーピングトレーナーという資格をとりました。今後は、メンタルヘルスやストレスマネジメントの研修などにも力を入れたいと思っています。