◆2年目を迎えて何か変化はありましたか?
最近は、外国の方が増えています。特に中国本土からの旅行者が凄い勢いで増えています。また、地方からの修学旅行の生徒も多く来るようになりました。2〜3時間のコースですが、まず私が昭和の時代についての話をして、それからお店に入ってもらって販売などの仕事を体験してもらいます。学生たちにとってはとても新鮮のようです。その後、「お化け屋敷」などで遊んだりしています。4〜6月、9〜11月に予約が殺到します。
ここで私はいつもこの「寅さんスタイル」で、学生さんに昭和の話をします、(笑)最後に「今話したことは僕が育ってきた体験です。失われていく昭和の歴史を僕の体験を通してみんなに伝えようとしています。でも東京のことしかわかりません。北海道には北海道の、九州には九州のその土地土地の素晴らしい歴史がたくさんあります。皆さんは帰ったら、お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃんの生きてきた昭和の時代の話を調べてください。そしてもう1回お台場に来て、そして調べたことを発表してください。君たちの足跡をここに残そうよ」と必ず言います。でもまだ来てくれる人がいないんですよね。(苦笑)でも、いつか必ず全国の学生たちが発表をするイベントを企画したと思っています。
戦後の教育を受けてきた30代以降の大人たちは、日本の文化を軽視して欧米志向で育てられてきてしまいました。若い人たちに日本の文化の伝承を賭けています。ワールドカップの応援を見ていたときに、日本人にもナショナリズムがあるんだと感動しました。また若者たちは外国が身近になって留学や修学旅行までも外国に気軽に出かけています。外から見ると日本の良さって気づかされるものなんですね。そういう若者たちにきちんと伝えていって、日本が元気だった頃の価値観を取り戻すことも可能じゃないかと思っています。
洋風化により畳のある家もなくなり、少子高齢化により外国からの労働者が増えてきています。もう数十年で本当の日本の文化を知っている人がいなくなってしまう危惧を感じています。だから今、今なんです。そしてわれわれなんです。若者に日本の素晴らしさを伝えていかなければならないのは。
◆「お化け屋敷」とは?
特殊メークを勉強している真面目な若者2人が中心となってやっています。2人は「お化け屋敷だけのテーマパーク」を作るという夢を持っています。しかし特殊メーク仕事だけでは食べていけません。そういった特殊な技術を活かせる仕事の創生という場としても考えています。お化け屋敷のシナリオはもちろん「昭和の怪談」がベースです(笑)。
◆「ハイカラ横丁」の次の展開は?
「ハイカラ横丁DX」は、郊外型の昭和レトロをモチーフにした複合型施設として、2007年10月に埼玉県志木市に第一号店をオープンしました。お台場のような観光客向けの大型施設の限界を感じ、生活に密着した普通の場所で、大人も子どもも一緒に楽しんでくれる、地味にローコストでできる昭和レトロをイチから始めようと考えました。地元の家族客に向けての、飲食店(お好み・もんじゃ焼き、居酒屋)と懐かしい駄菓子屋・ゲームコーナーなどで構成される小さなテーマパークです。昭和の雰囲気やその香りが忠実に再現され、どこか懐かしくてなぜか新鮮・・・と好評を得ています。シャッター通りだったこの商店街にも子どもが戻ってきて、商店街全体の売上も前年同月比で10%以上の伸びをしたようです。
お台場では、昭和を忠実に表現するための特殊技術の塗装などでコスト高になってしまいましたが、このハイカラ横丁は、廃材を利用しコストを削減しています。全国にこの「ハイカラ横丁DX」のFC展開をして、その土地にしかない「ハイカラ横丁」で地域活性化のお手伝いをしていくことを目標にしています。目下数店舗の計画が進行中で、廃材探しに奔走しています。(笑)
◆なぜ、代表権を譲られて取締役会長なられたのですか?
2005年に(株)サンライズマツオカを経営していた社長が病に倒れ、その会社をやってくれないかと頼まれました。そこで、社名を(株)サンライズエンターテイメントと改称して代表取締役に就任しました。
2006年「ハイカラ横丁DX」の新事業を進めるに当たり、社長を30代の若手に譲ることにしました。私はお台場一丁目商店街の自治会長もやっていますので、そちらに時間も多く使うことも多く、新事業に100%かかわれないという事情もありました。私はどちらかというと経営より企画することのほうが好きなのです。あまりにもこの昭和レトロの仕事に没頭しすぎて、採算などを考えることができなくなってしまうのです。企画という仕事は形がありません。私は性格的に自分で自分に値段がつけられないのです。(笑)
これでは会社として成り立ちませんから、経営と企画を分けることにしました。これで思いっきり企画に専念できるようになりました。
◆夢はありますか?
2つあります。
1つは、この昭和レトロを福祉や介護の世界に役立てたいということです。認知症の治療に回顧法がとても効果があるようです。その人の記憶をよみがえらせたりできるそうですが、そういうことも勉強して、昭和を再現したような老人ホームを作ることです。私の考える老人ホームは、老人だけを一箇所に隔離ことではなく、子どもや若者も集まり、昭和の時代の話を聞いたり、面子や駒回しを教えてもらったりと交流のできる空間なのです。それができるのが「昭和」という時代を感じられる場であると思います。
もう1つは、あるミュージアムを作ることです。それは、「企業のルーツを集めたミュージアム」です。それは、戦後日本を経済大国に押し上げてきたそうそうたる企業の創業の原点、最初の一歩を忠実に再現したミュージアムです。松下幸之助さんにしても、本田宗一郎さんにしても、ベンチャーだったのです。日本の偉大なるベンチャースピリッツなのです。そのスピリッツを感じてもらいたいのです。経営の神様たちの息遣いの伝わるような生々しい初めの一歩を再現したいのです。もし子どもたちがこのミュージアムを訪れたら、きっと僕たちだって努力したら・・・と夢と希望を持ってくれるのではないでしょうか。20社ほどの経営の神様を祭るミュージアム、場所は東京タワーの下か築地市場の跡地・・・などと考えるとワクワクしてきます。まだ私の頭の中にあるだけなのですが。(笑)
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