◆富山の配置薬専門店「キョウトク本舗」を開業とありますが?
富山の薬は100年以上にも及ぶ歴史があります。 昔は殆どの家にこの富山の置き薬がありましたね。いまでもこの売薬さんはいます。先用後利などのお客様との信頼関係を積み重ねていった結果、商売としてだけで考えず常に使う人の気持ちになって考えているのです。お客さんはお年寄りが多いので、この配置薬のデザインは昔のままです。どうしてかと言いますと、デザインを変えると間違えるからというお客さんの要望なのです。この富山の配置薬をずらっと並べた4坪の店を渋谷パルコと新宿のミロードにオープンして店頭販売を始めました。これがマスコミに大きく取り上げられて、レトロブームの火付け役となりました。これが私の「昭和ビジネス」のスタートでした。
◆久保さんにとってのレトロ感とは?
私にとってのレトロとは、「モノ」ではありません。レトログッズのコレクターの方もいますが、私にとっては、「モノ」より「コト」のほうが大切なのです。その時代の思いや心を現代によみがえらせたいのです。映画「三丁目の夕日」や「フラガール」が大ヒットし、昭和レトロが再び脚光を浴びています。あの時代は、モノは貧しくても、心が豊かでした。テレビが家に来た日の感動、洗濯機が来た日の喜び、身近なことにワクワクしながら生活していたあの頃の素朴なエネルギーです。
この昭和レトロのとらえ方は世代にとって違います。子どもたちはベーゴマや駄菓子が新しいもの、珍しいもので、若者たちにとってはアジアンチックな異国情緒、そして30年代世代にとっては懐かしさと感じられています。
◆「台場一丁目商店街」のプロデュースをされたのは?
戦後の復興期から高度成長期にかけて、日本が最も活気づいた時代のひとつが昭和30年代です 。2001年に横浜みなとみらいにその昭和30年代をテーマとしたレトロ商店街「ハイカラ横丁」を開業しました。その後8ヶ所で展開していったのですが、全てがうまくいったかというとそうではなく、出店費用が嵩みかなりの負債をおいました。この時期は私にとっての大変苦しい時期でした。私財を投げ打って立て直しに努力しました。そんな中で、富山出身のある方が富山をよく宣伝してくれたと、ポンと1000万円出資してくれたこともありました。そういう人がいるんですね。今思うとよくそこまでとありがたく思っています。
◆会社を作られてからはいかがでしたか?
2002年10月、お台場のエンターテイメントスポット デックス東京ビーチの中に、私が少年時代を過ごした昭和30年代の下町を再現した1000坪の
「台場一丁目商店街」をプロデュースして、そこの自治会長に就任しました。これが大当たりしまして、なんとマスコミが大々的に取材してくれました。オープン当初は新聞やテレビなどのマスコミ取材で、どのチャンネルにでも出ていた状態でした。(笑)そのおかげで、土日平日関係なくお客さんで混雑し、動きがとれない繁盛でした。どの店でもどんなものでもどんどん売れました。なにもしなくてもお客さんが買ってくれたのです。しかし、最初の1年がピークでしたね。お店はお客さんが来て当たり前、売れて当たり前と勘違いしてしまったのです。2年目の後半になるとだんだん客足が減ってくるようになっても、みんな売るための努力や工夫をすることを忘れていました。当初年間20億円あった売上が、4年後には16億円を切るようになりました。2割以上のダウンです。結果撤退する店が続出ました。2006年10月に全面改装をして、テナントも入れ替えて、大きな新幹線や東京タワーの模型を作ったり、いろいろな工夫を盛り込み、新しくスタートしました。少しは客足も戻りましたが、全盛期には及びません。それは仕方がないと思います。あまりに初めが凄すぎたのですから。(笑)