◆リクルート事件のとき「かもめ」の果した役割は?
1988年6月、政・官・財界を巻き込み、ついには翌年6月に竹下登首相(当時)を辞任にまで追い込んだいわゆる「リクルート事件」ですね。一体何が起こったのか、私ももちろん殆どの社員は戸惑うばかりでした。混乱の中、江副さんが会長辞任をすることになりました。社内報ができることは、何かの情報を発信することだけでした。社員が一番ほしい情報は何か、それは江副さんの言葉だろうと、独断で臨時特別号を出すことを決め、インタビューをお願いしました。混沌とする社内で、社内報の役割は、社員の元気と勇気と誇りを取り戻すことだと考え、「会社の幹部は事件を起こしたかもしれないが、私たちがやってきたことは本当に悪いことだったのだろうか?私たちが作ってきた新しい市場は不要のものだったのだろうか?ということをもう一回原点に戻って考えよう」というようなことを呼びかけていきました。危機の時こそ、自分を信じて誇りを持って誠実に前に進んでいくしかありません。また、危機の時こそ、経営者の人間としての資質が問われます。自己保身に走らず、きちんとした責任のとり方ができるかどうか、試されていると思います。そういう意味では、江副さんの責任のとり方はとても立派であったと思っています。
◆起業するきっかけは?
26年間社内報にかかわってきて、社内報ほど面白い仕事はないだろうと思って、私が社内報を辞める時は会社を辞める時だというくらいに考えていました。定年を10年くらい残してリクルートを辞めた時には、少しはのんびりしたいと思ったのです。ところが、それまでお付き合いのあった数社の企業さんから社内報をやってもらえないかという依頼がました。断りきれず、(株)ナナ・コーポレート・コミュニケーションを設立することになりました。自分からやらせてくださいと言ったのではなく、仕事が付いてきたのです。技術は自分に残るということをまさに実感しました。私が社内報のアウトソーサーの会社を始めると聞いた編集室のメンバーが数人一緒に働きたいといって入ってきてくれて、いい形でスタートを切ることができました。
開業当初は、三田に24平米ほどのワンルームマンションがオフィスで、メンバーで泊り込んで仕事をしていたことがよくありました。
◆現在の事業内容は?
事業展開に初めから計画を持っていたわけではなく、やりながら少しずつ生まれてきたという感じです。私はあまり自分がという自己主張する人間ではないのですが、仕事のほうが来てくれました。ありがたいことです。
社内報は、企業さんの企業文化であり、企業風土であり、企業ブランドであり、そういったものをきちんと残していけるような、社内報がたくさん出てくるといいなあと思っています。社内報を見るとその会社の雰囲気がわかりますから、良い会社には、良い社内報ができますし、逆に良い社内報を作っていると、良い会社なんだという意識も生まれてきますから、企業のボトムアップの手助けにもなるのではないでしょうか。社内報という活字文化も残していってほしいと思います。そういう展望をもちながら、社内報のお手伝いをさせていただいています。 1998年に日本で唯一の「月刊総務」という総務専門誌の編集業務を引き継いでもらえないかという申し出があり、その出版権を買い取りました。総務は裏方的な仕事が多い部門ですが、組織にはなくてはならない部門です。当社で発行するに当たり、それまでの愛読者に違和感を与えないように、マイナーチェンジを繰り返し、2005年4月号にフルモデルチェンジを果たしました。
また、2001年から「SOS総務」という総務業務に役立つ情報を提供する会員制ポータルサイトの運営も始めました。
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