◆独立されて嬉しかったことは何でしょうか?
大泉学園で5坪の事務所を借りてスタートしましたが、その新しい会社に、私も入れてくれと言ってきた人がいました。なんとその人は、一部上場企業の電気会社の研究所長をしていた魚住さんという人でした。びっくりするやら嬉しいやらでしたが、そんな偉い人を雇える余裕は無いので、そう伝えると、「お金じゃあない、あなたと仕事がしたいのだ」と言われたのです。魚住さんは、大正14年生まれで日本学術会議の会員、日本を代表する学者でした。魚住さんとのお付き合いは、前の会社で技術の勉強を社員たちにさせるために、物理の講演をお願いしたのがきっかけでした。毎月土曜日4時間、話が難しすぎて3回目から誰も聞かなくなった中で、10年間私ひとりが勉強をし続けました。
「どうしてうちの会社に来てくれるのか?」と、聞いたところ、「阿部さんが、私の話を聞いて、よく勉強をしてくれたから」ということでした。私の一番の贅沢は、魚住さんを社員にできたことです。
会社の実力とは、社長よりも優秀な社員が何人いるであり、自分より優秀な社員がいないと会社は発展しないと思っています。
◆どのように事業展開をされていかれたのでしょうか?
魚住さんとふたりで、さまざまな特許を取得していきました。1988年には、「H2Oを利用して多段階プラズマにより機械的エネルギーを取り出す方法」という特許を世界五カ国(米・英・仏・伊・西独・日本)で取得しました。この特許の目的は、排気ガス公害(窒素酸化物NOx等)の完全排除、石油資源の節約です。この時代が、私にとって、お金や会社の規模とは関係なく一番充実した時期でした。その後、魚住さんの指導もあり、社員たちも自分で特許をとれるようになっていきました。
この頃は私も技術者として、日本電子機械工業会で技術委員をして、JIS規格の制定にもかかわっていました。この制定委員は、殆どが大企業で、小さい会社は私ひとりくらいでした。委員のメンバーから「えらく自信を持っていますね」と言われたこともありましたが、自信を持っていたわけではなくて、若い頃からやっていた仕事でしたから、相手がどんな会社であろうと、引け目を感じることはないということです。人の価値というのは、肩書きを外したところで、その人に何が残るかだと思います。
◆スタビライザーさんという社名の由来は?
スタビライザーは、「安定させるもの」という意味があります。電気の電圧や電流を一定化させる高精度の装置をつくっている会社です。企業理念は、「技術を通して、安心で社会の貢献をする。社員の個性を伸ばす」ということです。
1980年代、安定化電源装置は新しい事業分野でした。UPSという、無停電電源装置をつくってほしいと、東海村の研究所から依頼がありました。コンピュタが急な停電で大切なデータが無くなるということがよくあった時代でした。このデータ消失を回避するために、2分間絶対に停電しない非常用電源を500万円で作ってくれという依頼でした。この2分間というのは、非常用発電機が作動するまでに要する時間でした。こういった仕事は大企業では面倒くさいので手を出しません。そういう仕事が当社の事業分野でした。まだ会社を始めて資金も無く、東京の地方銀行に貸付を頼みにいったら、話しを聞いてくれて、2000万円を無担保無保証で貸してくれました。ベンチャーローン第1号だったようです。当時は銀行が銀行らしい仕事をしていた時代で、決算書を見て貸すのではなく、人を見て、その会社の将来性を見て貸してくれました。銀行に企業を育てる使命感があった時代でしたね。
製造業は設備投資が大きく、大量生産に対応しない当社のような会社は、大量生産・価格競争の市場で戦っていくにはリスクが大きすぎます。そこで、うちには優秀な技術者が多くいたので、大企業との共同研究に力を注ぎました。ところが、その研究も途中で打ち切りになり、しばらくたったら商品化されていた、なんていうことも、何度もありました。(苦笑)新しいことを命がけでやってきた私たちとしては、ずいぶんと悔しい思いをしたものです。
◆現在、会社運営はどのようにされていらっしゃいますか?
子どもが事業をつがないとわかったときから、社員を独立させていき、製造部門はできるだけ縮小してその独立した人たちに外注として仕事を出すようにしています。
よく「小さくてもオンリーワン企業」が生き残りのキーワードのように言われますが、それでもやっていけないこともあります。また、自社ブランドや技術力だけでも生き残っていくことは難しい時代になっています。生き残っていくためには、変化に対応できる力だと思います。私も古希を迎えましたが、今までどんなに大変な時でも仕事に疲労感を感じたことはありませんでした。それは、自分の好きなことしかやらないと決めていたからだと思います。
◆阿部さんは毎月どのくらいの本を読まれますか?
私は、毎月4〜5sの本を読んでいます。一冊が単行本で400gくらいですから、15冊くらいでしょうか。殆どが小説で、初版本しか買いません。なぜ初版にこだわるかというと、その本の評価を自分で決めたいのです。家には4000冊ほどの蔵書があり、その本のために、重量鉄骨の家に立て替えました。(笑)
私の好きな作家は藤沢周平、北方謙三です。この二人の作品は何冊読んでも飽きません。1冊がせいぜい1500円から2000円です。ちょっと何かを我慢すれば買えます。その本の中に1ページでも自分にとって心に残ればいいと思いますよ。
◆阿部さんは吉良上野介について、独自の解釈をお持ちですね。
忠臣蔵は事件後40年たって、人形浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」という演目になりましたが、当時事実を正確に知っている人はいなかったと思いますよ。映画でも吉良が悪役として描かれているので、みなそう思ってしまっています。実際、吉良は名門の家柄で、ハンサムで知的教養のある人でした。吉良は、今で言えば優秀なコンサルタントであり、弁護士であり、名コーチだったわけです。浅野はそのコンサルタントにただで教えてもらおうとして、接待費を使わなかったわけです。それでは吉良も怒りますよね。それを浅野は恨んで刃傷に及んだわけですが、浅野は吉良に後ろから斬りつけています。これは武士として卑怯なことです。赤穂浪士も、殿様のあだ討ちであれば、すぐに正々堂々と決行すればよかったのに・・・私から見れば、あれはテロ集団そのものだと思いますよ。歴史を、史実を紐解いて自分で考えてみると、違ったものが見えてきます。これも読書の楽しみの一つでもありますね。
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