◆経営と執筆を両立させるための時間の使い方はどのようにされたのでしょうか?
私たちすべての人間に平等に与えられた唯一のものは、一日24時間という「時間」です。ですから、何事も「時間」の使い方が成功か失敗かの分かれ目でもあると思います。「いつまでになにをどうやる」という目標設定をして、そのために時間を管理することです。要するに、細切れの時間をどう集中するかです。私の場合は、1週間のうち5日は終電で家に帰ります。ですから毎日、午前1時から3時までの2時間が小説を書くための時間でした。この生活を執筆期間の1年半の間続けました。この2時間に集中できるように回路を切り替えるためには、仕事を引きずらないように、どこまで何をするか、そしてどのような結果を出すかを決めて仕事をすることです。また、3時から7時までが睡眠時間でしたので、4時間でいかに効果的に深く質の良い睡眠をとるか、こちらも真剣勝負でした。
決断とは「決めて断つ」と書きます。私の場合、何を断ったかといますと、お酒を断ちました(笑)。私はお酒が大好きですが、1年半断ちました。松本氏も一緒です。もちろん仕事で飲まなければいけないケースもありましたが、乾杯だけは許そうと、いうことにしました。ときどき、「社長、乾杯が多いですね」といわれたりして・・・(笑)。
◆いつ頃から、小説を書きたいと思われたのですか?
大学の卒論は近代文学です。「北村透谷」という明治時代の自由民権運動の中で生きた詩人を取り上げました。「近代文学の自我と主体考」というタイトルで、北村透谷の何に注目したかというと、彼は自由民権運動に参加して挫折し、最後は自ら死を選ぶのですが、その自由民権運動が地底の水脈として、「国民の元気」、人民の心の元気として脈々と生き続けているのです。この北村透谷の人と作品について卒論を書きました。明治時代は、天皇主権の時代でしたが、その中で国民主権を謳い、国民の抵抗権まで謳った「五日市憲法」という私擬憲法も作られた時代なのです。
そういう歴史を学んで行く中で、いつの時代も一生懸命生きているのだけれど苦しかったり、思うようにならなかったりするけれど、頑張って良い社会を作り、家族を守っていく人たちを描きたいなあと思い、今もそれが私の執筆の原点になっています。
文学は私にとってどういうものなのかといいますと、「私は何者か?」「われわれは、どこから来たのか、そしてどこへ行くのか?」ということを考えるプロセスなのです。
◆次の作品は?
祖父のことはお話ししましたが、その弟も面白い人生を歩んだ人で、農学校を出た後、こちらは明治で法律を学び、裁判官になって朝鮮に渡り、朝鮮総督府の裁判官になった人です。植民地の裁判官ですからいろんな矛盾のなかで生きて、悩みながら、最後は現地で病を得て亡くなりました。この二人の兄弟の生き方を縦軸にして、ふるさとの郷土芸能「鹿踊り」(ししおどり)の太鼓の調べに乗せて明治の黎明期に若者たちが何を考えどう生きてきたのかを書きたいと思っています。弟は実際に鹿踊りを踊っていました。
日本は今どんなふうに進んでいくのは先の見えない中で人々は不安を感じています。そういう時だからこそ、近代日本の原点に帰って、日本と日本人のこれからを考えてみることも必要ではないかと考えています。
◆ご趣味は?
子どものころからずっと絵を描いていました。親が黙っていると1日中、何枚も何十枚も同じ絵を描いていたそうです。親は画用紙代がばかにならないので、広告の裏紙をあてがわれました。今でも版画や絵を描いているときが一番楽しいですね。字を書くのも、絵と同じです。(笑)夢を実現するには「元気」でなければいけませんから、体力づくりにもとりくんでいます。夏山には山仲間と毎年北アルプスを中心に登っています。日曜日はかならず、朝5時に起きて1時間、街をジョギングしたり自転車を飛ばしています。これは30年以上、台風でも雪が降っても続けています。家は江戸川区ですが、ときどきその足で隣の周五郎の「青べか物語」の浦安の魚市場まで行って、魚や海苔を買って帰ります。今の季節は地物のシャコやアナゴがいい。魚は私がさばきますし、料理も結構うまいんですよ。あと、余談ですが、墨を磨ること、包丁を研ぐこと、お茶をたてること、これは無心になれるので、とても好きな時間で、みなさんにもオススメです(笑)。
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