◆プロフィールに第二創業とありますが?
私以外は全て技術者で、私は営業兼社長兼受付で、6年間誰一人やめることも無く仕事は順調でした。私は絵が描けませんが、一緒の部屋で仕事をしていて、彼らの描くタッチでその人の体調や心の状態までわかるようになっていました。クオリティを大切にやってきたことで、かなりの信用がついていました。私は、人を増やし、事業の拡大をしていきたかった。しかし、私以外の技術者たちは、社員を増やすと自分の技術が盗まれるのではないかと、現状維持を主張しました。彼らはPCでの画像処理の時代となっても、かたくなに手書きにこだわっていました。半年間話し合った結果、私ひとり残り、他のメンバーたちと暖簾を分けることになりました。借金をして退職金を用意し、写真資料、機材等一切を渡しました。私に残ったのは、アクアという社名と今までのお客さんとの信用だけでした。
新しいスタッフを雇いましたが、クオリティは劇的に下がりました。しかし、そんな状況をおくびにも出さずに仕事を取り続けました。何千というお客さんのなかで、この人はという数人のどうしても力になってもらいたいお客さんには、腹を割って全ての事情を話しました。その方々は、明らかにクオリティが悪いことをわかっていて黙って仕事を出しつづけてくれました。ありがたいことです。アクアの危機を救ってくれた方々に、今でも本当に感謝しています。
◆原田さんには、節目節目にたくさんの恩人がいらっしゃいますね。
ええ、大きく私の人生で3回、助けてくれた恩人がいます。
最初は、子供の頃、酒乱の親父から母をかくまってくれた近所のオバサン。
そして、2番目が、創業の時にお金を貸してくれた、造園業の社長や友達。
そして、第二創業の時に、黙って仕事を出してくれたお客さんです。
その方々に救われて、今日まで来ることができたと思っています。足を向けて眠れません。
私は前向きに頑張って生きてきましたが、人生には何度か本当の危機に陥る時があります。そんな時にどこまで自分自身が踏ん張れるか、が人生の真価を決める1つのことだと思います。と申しますのは、危機に陥った時には周りにいる多くの人が去っていきます。
友人知人を含めた多くの人です。
そんな中でも、力になってくれる人がいます。まさしく恩人です。
かといって、今振り返ると、私が危機に陥った時に去っていった人たちを恨んではいません。むしろ感謝したいくらいです。そういったことがあって、今の自分があるし、成長できたからです。
ですから今の私は、本当の窮地に追い込まれている人は助けることにしています。
今まで私の窮地を救ってくれた多くの恩人の方々に報いることにつながるとの思いもありますし、私自身の責務だとも思っています。
このような体験を通して、信念とも言えることがあります。それは、「たとえ人に裏切られても、私は人を裏切らない」ということです。
人間、捨てたもんじゃあないなあと思います。人は見ていないようで見ていてくれる。必死に頑張っていれば、どこかできっと誰かが見守っていてくれるものです。どんな状況になっても、腐らずあきらめず生きていくことが大事ですね。
人生とは不思議なもので、子供のころから苦労したような私は、その後、その苦労がこやしになる気がしてなりません。誰しも苦労はイヤですが、苦労を通して人は成長するんだな、とつくづく思います。
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