演劇への第一歩を踏み出されたのですね。劇団銅鑼さんとの出会いは?
だめもとと思って受けた演劇研究所に受かり、「これが青春だ!」と楽しい研究生生活でしたが、どうもその劇団は自分に合わないように思えて、養成期間3年のところ、1年半でやめてしまいました。それから1年ほど商業演劇の大道具などの裏方をやりながら旅回りをしていました。演劇からは離れたくなかったのでしょうね。そうこうしていると、研究所時代の先輩で銅鑼に入っていた何人から劇団銅鑼に入らないかと誘われました。
どうして劇団銅鑼を選ばれたのですか?
誘ってくれた先輩たちと仲が良かったこともありますが、銅鑼の舞台も何度か見ていたし、中でも「雪の下の詩人たち」という芝居はとても感動しました。このお芝居は、戦争の時代に、北海道出身の小熊秀雄や今野大力という詩人たちが戦争で弾圧されながらも、詩を武器にして、暗黒の中でも希望を持って闘い生き、最後は死んでいくという象徴的な作品で、銅鑼創立3年目に入団しました。 運営も民主的で、若い私に、普及活動、組織運営、企画制作など責任をもたせてやらせてくれてその時の体験が今に生きています。現在は創立メンバーの次の世代になってしまって、誘ってくれた先輩たちも残っておりません。いろいろな理由で退団していくわけで、銅鑼に在籍している、いないだけで勿論判断はできませんが、続けることも才能だとよく言われましたから、同じ劇団で続けてこられたのはその面では才能があったのかもしれませんね。(笑) 私はテレビや映画などにも出演し多少関わったことがありますが、どうもマスコミの世界よりは、まったくの白紙、ゼロから企画し皆で知恵や工夫をしながら形にして舞台に乗せ、観客の反応とともに成長していくこの世界が好きなのでしょうね。
佐藤さんが演劇を続けてこられた理由はどこにありますか?
何度もやめようと思ったことはあるのですが、その都度引き止める何かがあったのでしょうね。もちろん観客の拍手が一番ですが。たとえば公演で外国に訪れると、演劇が地域に根付いているんですよね。町や都市の中で演劇や音楽、劇場が尊重されていて、そこに住む人たちも支持してくれています。日本では演劇なんて理屈っぽくて好きな人がやっているんだろうみたいで、やっている演劇人もわからなければしょうがないみたいな感じですよね。だから垣根があり演劇の社会的地位も低く、外国をみると悔しいというか羨ましいとか、何とかしたいなあという気持ちになりました。 40代半ばに、演技に行き詰まりを感じ、公演で行ったリトアニアに3ヶ月勉強にいきました。短い間でしたが、芝居や稽古を観たり、現地の演劇人と交流を深めることで、地域における演劇の力を実感しました。俳優として演劇人として、いい芝居を作りたいという思いはもちろんですが、それだけではなく、演劇が持っている力を、もっともっと社会に役立てていきたい、演劇ってすごいんだぞという思いを強くしました。昨年11月にルーマニア公演での時も劇場の3階層まで一杯のお客さんがカーテンコールの時にスタンディング・オベーションで拍手の嵐、本当に続けてきてよかったと思いました。至福の時でしたね。
社会に役立つ演劇ということで取り組まれたことがいろいろあると思いますが、はじめに取り組まれたのが、埼玉県三芳町での文化活動ですか?
パートナーの田辺がとても熱心に取り組んでいまして、初めの頃はそれに引き込まれたような形でした。(笑)コピスみよしという文化会館をつくるときに、開設記念として3年間をかけて地元の小学校1年生から大人まで三芳町の歴史を素材にミュージカルを作るという取り組みで私はプロデューサー・コーディネーターとして参加しました。子どもたちが3年かけて育ち立派に演じきった姿はとても感動的でした。子どもたちにもこの体験が一生の宝物になったことでしょう。残念なことに、町長が変わってこの文化活動も続けることができなくなってしまいました。学校や塾の勉強だけでは得ることができない貴重な人づくりの場だったのに。本当に残念なことです。
その後に取り組まれたのが、若者自立塾での演劇ワークショップですね。
若者自立塾は、厚生労働省から委託を受け日本生産性本部が実施している若者支援事業です。合宿形式で集団生活をおくり、職場体験や自立するための様々な活動を行っています。自立塾の一つの千葉県の企業組合労協センター事業団で、コミュニケーションスキルをつけるための演劇ワークショップをやっています。 いわゆる引きこもり、ニートと呼ばれる人たちを、はじめは怠け者じゃあないかと思っていました。ところが全くの理解不足でした。彼らは真面目すぎるくらいで、ちょっとしたつまずきで、引きこもりやニートになってしまったのです。3ヶ月で、コミュニケーションスキルを高めるための演劇ワークショップを積み重ね、最後には舞台で劇の発表まで持っていきます。この場は間違ってもいいし、失敗してもいいし、なにをしてもいいんだよという信頼関係と安心感を持ってもらう場をつくることに時間をかけました。そのために緊張をときほぐしたり、交流できるようになるためのエクササイズを繰り返しました。少しずつ、少しずつ心をほぐしていって、ちゃんと相手の目を見ることができるようになっていきました。わずか3ヶ月、そのうち私たちのワークショップは3回にわけて述べ8日か9日くらいです、それで発表までもっていくんですから、すごいことです。舞台が終わった後の麦酒の旨さ、彼らと抱き合って感動を分かち合いました。演劇人冥利に尽きる瞬間です。劇を見てくださった他県の自立塾から大きな反響もありました。何よりも嬉しいことは彼らが自立し始めたことです。
先日の事業仕分けでは数字だけで無駄だと判断されました。利用者が少ない費用対効果がないということで廃止と答申されましたが、関係者が意見を出し、経過措置として継続にはなりましたが予算がだいぶ削られてしまいました。現場に足を運び人が変わっていく姿を実際に見て欲しいし、潜在的にも多いわけですからもっとたくさんの人が利用できるような施策や広報活動もやって欲しいと思います。結果としてこの若者たちが社会に復帰して働き、納税者になればいいわけです。急がば回れです。人づくりが大事なんです。
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