佐藤さんの代表作に「センポ・スギハァラ」の主役杉原千畝役がありますね。803回も演じられたと伺いましたが、すごいことですね。演じた苦労などをお聞かせください。
初めて杉原千畝さんを演じたのはまもなく40歳の頃、お芝居の中での杉原さんの年齢は同じ40歳でした。先輩がよく言っていたのは、演じる年齢は自分の年齢の8掛け7掛けがいいと。つまり自分が39歳なら32歳前後の役を演じるのが適しているということです。同年齢の役ということ、外交官という仕事、まして日本国が許可しなかったビザを発行するということですから、自分だったら・・・と考えると分からないことだらけでした。そこで以前乗っていた船で遭難した人を見つけたらどうしただろうと考えてみました。当然何をさておいても救出に全力を尽くします。自分の体験の中にあるものに置き換えて考えました。役作りとは役の背景にあるもの、根っこになるもの、種子といいますかそこをまず自分の中にしっかりと掴み取ることが大切です。この支えが無いと長く続けることはできません。
1940年8月、リトアニアのカウナスの日本領事館にポーランドから逃れてきたユダヤ人たちがビザを取得しようと詰め掛けてきました。杉原さんは日本政府の命令に背き、通過ビザを発給しました。6000人のユダヤ人を救出した高潔で歴史に残る大偉業です。初演当時はまだ杉原千畝さんの偉業を知る人は少ない時代でした。「センポ・スギハァラ」は、リトアニアを脱出しようとする2つの家族と、杉原千畝と妻・幸子、そして領事官員たちが行動を起こす様子とを、織り交ぜて描いています。ニューヨークをはじめ、東欧諸国、アジア、日本全国で公演を行いました。初めてのニューヨークでの公演は、時差ぼけや体調不良、それに取材や挨拶まわりなどで本当に大変でしたが、ニューヨークタイムズに写真入りで大きく取り上げられ、その中で私を「良識的な平静さと目的意識を持って演じている」と評していただき嬉しかったです。また、杉原ビザで助けられた女性とお会いし本物のビザを手にした時は鳥肌が立ちました。貴重な体験です。
自分が演じた芝居で一番印象に残っているのは、「カウナスの夏」です。この芝居は、杉原さんの戦後を描いたものです。外交官を首になり、ロシア語ができるので商社に勤めモスクワに駐在して日本の妻子たちを養っていました。朝鮮戦争やベトナム戦争が勃発し、同じ民族が南北に引き裂かれた現実を見て、あのリトアニアで通過ビザを発行したけれど、あの人たちはどうしているのだろうか?自分がやったことは一体どういうことだったのか?それを確かめようと、イスラエル大使館を訪ねました。結果その名前の記帳が杉原千畝を探し出すきっかけにもなります。
この芝居は、新しい試みとしてアリーナ形式で上演しました。杉原と助けたユダヤ人たちとが再会し、黙って見つめあうというラストシーンでした。この芝居を観てくださった方から、そこに、本当に杉原千畝と助けたユダヤ人が見えたと言ってくれました。この言葉こそが、役者冥利に尽きる言葉です。
パートナーの劇団銅鑼の制作の田辺素子さんを以前インタビューさせていただきました。その折に、佐藤さんの魅力をお聞きしました。そこで、今回は佐藤さんにパートナーとしての田辺さんの魅力についてお伺いします。
田辺の魅力ですか・・・(笑)とにかくあきらめない人です。それにいつもエネルギッシュです。芝居が好きなんです。本当に彼女は芝居が好きです。私より好きじゃあないかなあ。三芳町での文化活動も、田辺がやり始めたことで、私は最初のうちはそんな面倒くさいことやらないほうがいいのじゃあないかと思っていました。演劇の力を地域にもっと根付かせたいという想いは、彼女の影響も大きいですね。桜井さんも参加されている中小企業家劇団「チームKITAYAMA」も、田辺と二人なので、お互いに足りないところを出し合ってやっていけると思っています。
中小企業家劇団「チームKITAYAMA」は、2010年11月に第二回公演を予定していますが、どのような劇団に育てていきたいとお考えでしょうか?
この劇団は、「中小企業の今を」「演劇で」「元気に」「社会に発信する」をテーマに東京中小企業家同友会の会員さんたちで作った劇団ですね。中小企業の経営者や、働いている人たちが団員で、その人たちの生活感覚・現実感覚を大切にして、それを活かした芝居を作りたいと思っています。私自身も、今の時代をどう見ているかという感覚を研ぎ澄ますことが大切で、両者が上手く出し合って相乗効果で「今という時代」が透けて見えるような芝居になればいいなあと思っています。 素人の人が芝居を始めるということは決してハードルは高いものではありません。最近は、コミュニケーションが上手く取れない時代になっています。お芝居云々ということの前に、ワークショップなどを通して、コミュニケーションスキルを高めることに役立てていかれることをおすすめします。チームKITAYAMAの皆さんと昨年9月に旗揚げ公演をしました。当初色々心配の声もありましたが大好評で、やればできるんです。なぜなら、その人にはその人の人生があるから、その人生という背景を個性として、舞台で表現すればいいのです。それを引き出すお手伝いが私の演出という役目だとも思っています。また、是非、自分と違う人物に変身することで新しい自分を発見してください。
2月に「はい、奥田製作所。」というお芝居を新宿の紀伊国屋サザンシアターで公演されますね。どういうお芝居ですか?佐藤さんの役は?
劇団の小関直人の作で、大田区の町工場を舞台にした親子三代を軸にした物語です。頑固一徹の職人気質の社長が倒れ、後継者の息子は古い体質を改善しようと大改革を宣言するのですが、従業員との溝が深まるばかりです。製造業の明日はどうなるのだろうか・・・というお芝居で一昨年初演し好評、今回は再演です。 私は奥田製作所に来て20年のいい旋盤技術を持っている山岸という人物を演じます。あちこちの工場に行ったのだけれど長続きしなかったけど、この奥田製作所の創業者に惚れて今は会社の技術現場のトップ。後継者の長男のやり方や考えに異を唱え、一番最初に猛反発し対立するんですが、実は一番会社のことを考えているという役どころです。役作りでは、私と山岸の共通点と違いはなんだろうと探すところから始まります。自分の今までの人生体験や劇団の置かれている状況、その中での自分の役割や人間関係などなどいろいろ思いを巡らし種子を探求することが、リアリティーを生みだし育むいちばん大切なところで楽しみでもあります。そして観劇されたお客様から、「笑って、泣いて、元気が出た」と言われ、本当に働くということって何、ひとりひとりにとって、中小企業の会社にとって大切なことって何かなあって考えるキッカケになれば嬉しいです。そして、できたらお客様が劇場を去る時、表情が輝いてお互い人間同士がやさしくなるような芝居に。
佐藤さんの夢はなんでしょうか?
私はやっぱり海と旅が好きなんです。そうだなあ・・・芝居のキャラバンを組んで、別に役者じゃなくてもいいんですよ。運転手だって、大道具だっていい。いろいろな国を旅したいですね。できたら、エーゲ海を船かヨットでのんびりバカンスを楽しんだりして・・・これって、寝てみる夢になってしまうかもしれませんね。(笑)
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