◆ 完成した作品を御覧になっていかがでしたか?
今は、やっと落ち着いて空間を見ることができるようになりました。つくっている間も、できてからも、その後その空間がどうなっているのだろうか?皆さんの反応がどうなのだろうかということが気になります。成田空港で一番人気のエリアになっているとお聞きして、本当に心から嬉しく思っています。
また、たいへんな条件の中で、「この仕事は、うちの会社の、そして自分の代表作になるから」という思いで大変な環境の中、共に仕事を進めていってくれた方々に、お返しをしていかなければと思っています。この空間を通して、その方々を、その卓越した技術を、ご紹介していかなければとも思うのです。
高橋さんが取り組まれたお仕事はずいぶんと多岐に渡っていますね。どうしてそのように、滾々と沸き出でる泉のようにアイデアが浮かぶのでしょうか?
私はデザインを自己の表現とは全く思っていません。私の場合はどこまでも相手の立場に立って考えることによって、何をするべきかが浮かんできます。そうでなければ、自分のやることの意味さえも分からなくなります。
相手がいかに喜んでくれるかということを考えることが自分自身の楽しめるところでもあります。自分がハッピーでいたいという考えが先に立つ事はないですね。「すべては人の為」のほうが、自分としても楽にいろいろなことがイメージできます。墨田区の、下町の人間らしい感覚かも知れません(笑)。
知らない世界でも、分野が変わったとしても、社会の為というゆるがない根幹があるので、人というストーリーの中でイメージが出てきます。企業でも地域でも個人でも、それぞれに歴史があります。仕事の時は、今やりたいことや問題点を沢山お聞きして、工場などの現場も見せていただき、これから何をやっていくべきか、未来のあるべき姿をイメージしていきます。まだない未来を想像する部分は、私の得意とするところです。子供の頃から遊ばせてもらっていたものづくりの現場などで、いろいろなアイデアを出すと「そんな事、毎日やっていて思いもつかなかった!正実ちゃんの云っているものを実際に作ってみよう!」と職人さんたちが喜んでくれました。それが今の多くの事に繋がっています。
専門的知識もとても豊富だと思うのですが。
一般的にデザイナーは、印刷や物を作る場合、教科書的なものから学びますが、私は小さい頃からたくさんの大人たちから現場で教えてもらって、身体で覚えたことが今につながっています。地域が人を育てるということを私自身の肌で実感しています。下町は、子どもが育つのに最高の場所だなあと思っています。 中小企業は最高に楽しいと思っています。創造力があります。でも中にいる人たちはそのことに気づいていない事が多くあります。蓄積された技術を土台にして、これからの未来を創造できたら、これ以上の強みはありません。大企業と違って、思ったらすぐ行動に移せます。深い歴史があるからこそ、皆が助け合って生きてきたという土地柄の中で、自分の場合は、ものづくりの技術は特別ありませんが、健康的な未来を想像するということは得意とするところなので、その部分で社会に貢献できたらいいなあと思っています。そこにはいつも最悪の問題をイメージして、それをクリアーする為の方法をイメージしきり、同時進行で、多くの人の楽しく明るい未来を脈々とつなげ、隅々までイメージを具体的に持ち、その先また多くの人のアイデアへとつながる様に創造をしていくのです
中小企業は楽しいとおっしゃいましが、ご自身の会社の規模についてはどのようにお考えでしょうか?。
自分の事務所が会社となっていく際、大きくしないということだけを考えました。最小にして最高の力を発揮できる会社というのは、社会の仕組みとして一番良いのではないかと考えます。他の人の分までご飯をとってしまうこともないですし(笑)。中小企業のできることは、大企業より魅力的に感じています。会社が大きくなると、いちばん大切なものが見えにくくなってしまうと思っています。この感覚はこの土地に生まれ育ったということが大きいと思います。 マサミデザインは、自分の中では最高3人という考えがあったのですが、仕事が凄い勢いで増え、人が増えてしまった時期がありました。そのまま進むとどんどん大きくなっていく不安がありました。人が増えることで、自分の軸がぶれそうになりました。もともと、仕事のクオリティを保ち、社会とのバランスの上にこそある、本当の自由な創像力を大切にしていきたいと思っていたので、3年くらいかけて今の3人という形に戻していきました。人を増やさないという、元々の意志に基づき、心苦しい思いをしてお仕事をお断りすることもありました。今は3人に落ち着き、小さい会社にすることで安定しています。結構のボリュームの仕事をこなしていますので、3人でやっている会社だとは思われないようです。(笑顔)
東京新タワー(東京スカイツリー)は墨田区にとってどのような意味をもっているのでしょうか?
隣の浅草(台東区)は、観光地として見せ方の上手さで成功しています。墨田区は職人の街で、本物を生み出してきたところですが、外へのアプローチが余り上手ではありません。それに、江戸時代から生活に根ざした文化が、関東大震災、東京大空襲で殆んど消失してしまいました。しかしそれでもなお、この墨田区に住みつづけ、生活を新しく作り直してきたのは、そこで仕事をしている人たちが墨田区という下町を愛し、人を愛し、人の為にと様々な事を考えているからです。この下町にはそしてそういう人たちのドラマが詰まっています。 街の価値、人の価値、個人、家族、地域、日本・・・すべては繋がっているのです。しかしこの下町の本当の良さを知っている人たちがどんどん少なくなっています。昔から続く仕事なのにも関わらず、後継者問題を抱えることや、歴史的価値のある場所がマンション開発されるなど、いろいろなことが繋がらなくなってしまうかも知れなかったギリギリの時に、東京スカイツリーは、墨田区の観光を打ち出していくことで、この土地を語り出し、新しい墨田区をイメージしていくための、多くの人が、日本においての墨田区の重要さを考えるきっかけ、今、日本に最も必要とされた、神様からのプレゼントのような気がしています。
地域を開発するには、歴史を想う「哲学」と「実践」と日本人としての「美」の意識が必要です。この3つが合わさるとそこに「心」がうまれ、これらを合わせて「デザイン」と、私は呼んでいます。デザインを様々な問題解決策の一つとして、すこしでも社会の力になることできたらと思っています。
スカイツリーが目指すべき世界一は、高さではなく精神的なものであると思っています。歴史文化、日本人の暮らし、思いやり、ものづくりの心を日本中に「伝播」するタワーであることを願っています。
|