ステンドグラスの歴史とは?
ステンドグラスはヨーロッパで教会と共に発展しました。一番初めのものは現存していないので、不明な部分もたくさんありますが、教会にとってステンドグラスは聖書のような役割を果していました。ゴシック建築と共に権威の象徴として隆盛を極め、ロマネスク建築様式に変わり衰退した時期もあり現代につながっています。19世紀にはルイス・カムフォート・ティファニーが、従来の技法とは異なったガラス片に銅テープを巻くティファニー方式を考案しました。この方法だと多種多様なものが作りやすく、現在日本でもその方法が主流で広まっています。
日本に従来のステンドグラスの技術が入ってきたのは、明治時代に国会議事堂を建築するにあたり、国費でステンドグラスの技術留学した人たちが、帰国して工房を開いたことによります。最近ではアメリカで学んだ小川三知が有名ですが、彼は鳩山会館のステンドグラス等たくさんのステンドグラスを手掛けています。ヨーロッパの教会にみるような原色を使ったステンドグラスは、日本の風土には合いませんが、小川三知は日本の生活の中にあっても溶け込める作品を作っています。私も日本の風土の中に溶け込むような、心地よい空間がうまれるようなものを作っていきたいと思っています。
2009年には日本ステンドグラス作家協会展のほかにも作品展をされましたね。
はい、5月に、楽町楽家’09ひらめい展「京町家 昌の蔵とすてんどぐらすam」という作品展をしました。毎週一日を製作の日としてアトリエで技術を持った生徒さんたちと作品作りをしています。その会がすてんどぐらすamです。作る喜びだけでなく、自分の作品が売れる喜びも加わればやりがいが生きがいに変わると思います。そういう仕組みを作っていくこともこれからの私の課題のひとつです。京町家という和の空間に見事にステンドグラスの明かりが似合って、とても好評でした。
また、2010年6月には、埼玉県さいたま市南浦和のギャラリーで、染色をやっている娘と「彩‐ステンドグラスと染−」という二人展を開催しました。「都のかほり」(テレビ朝日系列JR東海提供番組)に出演したこともあって、それを見ていた方が来てくださいました。こちらでも教室を開いて欲しいと言われました。気持ちはあるのですが、何せ遠方なのでまだ実現には時間がかかりますね。この二人展は、ステンドグラスのランプや小物。ろうけつ染めで染めたバックや傘など、くらしを彩る作品を展示販売しました。15日間とかなり長かったのですが、新しい発見もあり、充実した気持ちで終えることができました。
他にはどのような作品を作られていますか?
窓パネル、ドアパネル、ランプや小物なども多くあります。主張し過ぎない何気ない自然さを大切にしています。子どもたちが小さい頃通院していた小児科医院の待合室の3枚の窓パネルに親子のイルカをデザインした作品は、読売新聞に取り上げていただきました。この作品のコンセプトは、「安心」「和み」「いやし」です。いやし効果の高いブルーを基調に、イルカをモチーフとした窓は子どもたちの人気の的となりました。デザインは娘で、親子の共同作品です。朝日が閉めたロールカーテンに当たるとき、ここはまるで海の中のようだと、とりわけ喜んでくれたのがそこで働く看護士さんでした。夜間診察時間に、3つの窓は建物内部からの照明で、鮮やかに浮かび上がります。昼間待合室から見る表情とは、また違った光の美しさを楽しむことができるのもステンドグラスならではです。私にとっても忘れられない作品となりました。 また、向日市鶏冠井町(かいでちょう)のグループホームの各部屋のドアパネルとホールの窓パネルに入れさせていただきました。やはり一番初めに喜んでくれたのは職員さんたちでした。そこに働く人が元気になれるということですね。ステンドグラスって凄いなあと思います。そのグループホームは街道沿いにあって、信号待ちの車や歩行者の方にも楽しんでいただいているようです。
これからやっていきたいことは?
自分の作品がある場所に心地よい空間が生まれ、そこに集う方々が癒されて元気になる、そんな場所をどんどん増やしていけると嬉しいです。ステンドグラスの窓は、昼間は建物内の人が楽しめ、夜間は周囲の人が楽しめます。夜間のセンスよい明かりはその場所の存在感を高めながら、地域への環境貢献にもつながります。色々な方にステンドグラスの良さを知ってもらい、もっと身近に感じ、生活の中に取り入れていって欲しいと願っています。ステンドグラスの癒しの力は素晴らしいと思います。 こういう世情不安な時代だからこそ、ほっとできるひとときが持てるような空間作りが必要だと思います。そんな空間作りをステンドグラスでお手伝いしたい、たくさんの方にステンドグラスのそういう良さを実感して欲しい。ステンドグラスを通してのそんな形の社会参加が現在の私の目標です。
|